執筆: 小林 正敬(こばやし まさたか) — まさぼ内科・糖尿病クリニック飯田橋院 代表理事。糖尿病専門医・総合内科専門医。
3分速く歩いて、3分ゆっくり歩く。世界はそれでは救えないが、食後の血糖の山は、少しなだらかになる。

朝、診察前のコーヒーを淹れながら、スマホのニュースを片目で見る。中東情勢が、また重たい見出しで並んでいる。ホルムズ海峡、という言葉が、ここ数週間、一年分くらいの頻度で画面に出てくる。日本は原油の9割超を中東に頼っているので、あの細い海峡が詰まると、僕らの給油ランプから食卓の油まで、順番に値段が上がっていく。世界の遠いところで起きた緊張が、数週間後に、近所のガソリンスタンドの電光掲示板に着地する、というのが、2026年の地続きの不気味さである。
そんな大きな話を、コーヒー1杯ぶんだけ眺めて、僕はそっとスマホを置く。世界は今日も僕の手に余る。そして、僕の手に余らないサイズの話に、視線を落とす。── 今日の話は、歩き方である。世界を救うには小さすぎて、しかし自分の血糖を整えるにはちょうどいい、という、絶妙に地味なスケールの話、なのだ。
そんなことを思っていた矢先、午前の外来で、3人連続に「先生、あの、TikTokで見た歩くやつ、あれってどうなんですか」と聞かれた。3人とも、年齢も職業も体型もばらばら。共通点はひとつだけ、スマホで知って、医者に確かめに来た、ということ。
「Japanese Walking」が、海を渡って戻ってきた
ここ数ヶ月、TikTok や海外のSNSで、「Japanese Walking」 という言葉が静かにバズっている。中身を見ると、なんのことはない、信州大学の能勢博特任教授が考案した「インターバル速歩」である。日本発の歩行法が、英語圏でバズって、逆輸入のかたちで、日本の30〜50代の昼休みのスマホに帰ってきた、という構図。
緑茶が「matcha」になって戻ってきたり、片づけが「konmari」になって戻ってきたりする、あの現象の、健康法バージョンである。海を一度渡った日本語は、なぜか少しキラキラして帰ってくる。
やり方は、拍子抜けするほど単純で、
- 速歩(息が弾む、最大体力の約70%)を 3分
- ゆっくり歩き(最大体力の40%以下)を 3分
- これを交互に繰り返す
これだけ。器具もジムもいらない。ただ、いつもの散歩を「3分だけ本気、3分だけだらける」のセットに割るだけ。1日トータルで速歩が15分(5セット)以上、週4日以上を目安に、忙しければ週末にまとめて週60分でもいい、とされている。
「なんだ、ただの早歩きか」と言われると、半分はそう。けれど、その「ただの」に、けっこう骨太な数字がついている。
「20%の法則」という、地味に強いデータ

能勢先生のグループが積み上げてきたデータには、「20%の法則」という、覚えやすい看板がある。5ヶ月間きちんと続けると、
- 体力が、最大で20%向上
- 生活習慣病に関わる複数の指標が、おおむね20%改善
- 医療費が、20%抑制
の3つが、だいたい揃って出てくる、という話。骨密度の研究では、閉経後の女性234名を対象に、もともと骨密度が低かった人は上がり、高かった人は維持された、という、地味だがありがたい結果も報告されている。
数字というのは、たいてい脅すのが上手で、慰めるのは下手なものだけど、この「20%」は、めずらしく、静かに背中を押してくる側の数字だ。しかも、その背中の押し方が、ジムでもサプリでもなく、「歩き方を少し変えるだけ」というのが、いい。
正直に書いておくと、僕自身は、毎朝10〜15kmを走る人間で、運動の入口としては、わりと極端なほうにいる。それでも、外来で患者さんに勧めるのは、たいてい「走る」ではなく「歩く」だ。理由は単純で、走るのは、できる人には最高だが、できない人には最初の一歩が高すぎる。 膝や腰、心臓への負担、続けるハードル、靴やウェアの初期費用。そこへいくと速歩は、今日の靴のまま、今日から、誰でも始められる。 「いちばん効く運動」ではなく「いちばん多くの人が続けられる運動」を勧める、というのが、外来という現場の選択である。走るのが好きな僕が言うのもなんだけど、多くの人にとっての正解は、たぶん、走ることではなく、歩き方を変えることのほうだったりする。
内分泌の医者として、ここでもう一つ、自分の専門の側から補助線を引いておきたい。
速歩で太ももの大きな筋肉を3分間しっかり使うと、その筋肉が血液中の糖を取り込みやすくなる。 これはインスリンの力を借りる回路とは別に、運動そのものが開ける糖の通用門のようなもので、食後の血糖の山を、なだらかに均してくれる。「ゆっくり歩き」の3分は、その門を閉じきらない程度に息を整える休憩時間。速いと遅いを繰り返す、というリズムは、糖代謝を整えるうえで理にかなっている。 ただ平坦に歩くより、波をつけたほうが、結果として膵臓の負担も軽くなる、という理屈である。
歩く、という行為は、たぶん人類がいちばん長くやってきた運動で、種田山頭火が「歩いていれば、それが答えになることもある」とでも言いたげに、ひたすら歩きながら句を捨てていったように、体を動かすことには、考えるより先に体が納得する、という不思議な順序がある。 僕は走っている時にそれを感じるけれど、走らない人にとっては、速歩の3分間が、ちょうどその「頭が空っぽになって、けれど筋肉だけは静かに糖を片づけている」時間に、なってくれる。入口の高さが違うだけで、体が納得する感覚は、たぶん地続きだ。
「1日1万歩」を、いったん忘れていい理由
ここで、長年僕らを縛ってきた数字を、一度ほどいておきたい。「1日1万歩」である。
あの数字、実は医学的な根拠から生まれたというより、半世紀以上前の万歩計の商品名あたりが出発点だった、というのは、わりと知られた話。もちろん歩数は多いに越したことはないけれど、「1万歩に届かない日は失敗」という強迫だけが、妙に一人歩きしてきた。雨の日に8,000歩で止まって、自分を少し責める。あの罪悪感には、たぶん、たいした医学的裏づけはない。
インターバル速歩のいいところは、この呪いをそっと外してくれるところにある。問われるのは歩数の量ではなく、「3分間、ちゃんと息を弾ませたか」という質のほう。だらだら1万歩より、メリハリのある6,000歩のほうが、太ももの筋肉も膵臓も、ちゃんと反応する。数を数えるのをやめて、体感の濃淡を数えるほうに、ものさしを持ち替える。
寺田寅彦が、日常の小さな現象をよく観察して「ねえ、これ、よく見ると面白いでしょう」と科学のほうへそっと差し出したように、自分の歩きを「速い/遅い」の濃淡で眺めてみると、いつもの道が、ちょっとした観察対象に変わる。今日はこの坂で息が弾んだ、昨日より楽だった、という小さなログが、1万という大きな目標より、ずっと続けやすい。大きな数字は人を脅すが、小さな体感は人を続けさせる、というのが、外来での僕の実感である。
ただし、「速く歩けばいい」わけではない、という注意
ここで地味に大事な注意を、医者として書いておく。
- 心臓や血圧に持病がある方は、いきなり「息が弾む速歩」に入る前に、一度主治医に相談してほしい。特に治療中の高血圧の方は、運動強度の上げ方に順番がある
- 糖尿病で薬を使っている方、とくにインスリンや一部の経口薬を使っている方は、運動で血糖が下がりすぎる(低血糖)ことがある。空腹時の速歩や、飴を持たない速歩は、避けたほうが無難
- 真夏の日中は、これから書く第8回の話に直結するけれど、速歩より先に脱水のリスクが来る。朝夕の涼しい時間に回すのが、この季節の正解
つまり、「Japanese Walking」は素晴らしいが、素晴らしい処方ほど、誰が・いつ・どう使うかで効き方が変わる。SNSの動画は、その「誰が・いつ・どう」を省略して、フォームの格好良さだけを30秒で見せる。そこだけ真似して、自分の身体の前提条件を飛ばすと、たまに転ぶ。
自費か保険か、という、今回もある相談
「先生、これ続けるのに、なにか機械を買ったほうがいいですか」と、よく聞かれる。心拍計、スマートウォッチ、専用アプリ。買ってもいい。ただ、速歩の本質は「ちょっと息が弾む」を自分の体感で掴むことなので、最初の道具は、たぶん要らない。
当院は糖尿病の保険診療を中心に、漢方内科も並走している糖尿病クリニックなので、「運動を始めたら血糖や血圧がどう動いたか」を、保険診療の採血と問診の中で一緒に追える、というのが構造的な強み。GLP-1 を含む自費の選択肢も置いてはあるが、まず2週間、お金をかけずに速歩を試してから、足りないものを足す、という順序のほうが、たいてい本人の総コストは下がる。これは何度でも書く。
地味な5つ、という、いつもの結論

医学の意地悪なところは、最善の処方箋がいちばん地味なところにある、ということ。今回も、地味な5つを置いておく。
- いつもの散歩を、3分・3分に割るだけ。新しい時間を作らなくていい。今ある散歩の中身を変える
- 速歩の目安は「歌えないが、会話はできる」。鼻歌が出ないくらい、でも隣の人と一言二言は話せるくらい
- 朝か夕方の涼しい時間に。真夏の日中は、速歩より熱中症が先に来る
- 薬を使っている人は、低血糖対策に飴を一個ポケットに。これは保険のお守り
- 2週間だけ、まず続ける。道具も課金も、その後でいい
これだけ。地味な5つで、自分でも「これを外来で何回言ったかな」と数えそうになる。けれど、世界がホルムズ海峡で揉めていても、僕にできるのは、せいぜい自分の太ももの筋肉に、今日のぶんの糖を片づけてもらうことくらいで、大きな不安に対して、小さく身体を動かす、というのは、案外、悪くない対処法だったりする。走っても歩いても世界は変わらないが、動かないよりは、自分の数値が、ほんの少し変わる。
そんなわけで、僕は今日も朝に走ってきたけれど、外来では今日も、「まずは3分、歩いてみましょう」と言う。自分が走ってしまうのは、ぐっと脇に置いて。
たぶん。

院長後記
書きながら気づいたんですが、僕は患者さんに「まずは歩きましょう」「無理のない強度で」と勧めておきながら、自分は毎朝、つい10km以上を走らないと一日が始まらない、という、けっこう面倒な体質です。「歩く」を処方する医者が、いちばん「ゆっくり歩く」のが下手、という、笑えない構図。患者さんに勧めている「会話できるくらいの強度」を、自分の朝のランで一度も守れたことがありません。せめて週に一度くらいは、走らずに、ただ3分・3分で歩いてみようと思います。たぶん。人に勧めることほど、勧めた本人がいちばんできていない、というのは、診察室でも自分の足でも、変わらない結論だったりもするのです。