第8回|のどが渇いた、と気づいた時には、もう遅い。

アイキャッチ:真夏の窓辺、机に水のボトルを置いた診察室の医師

執筆: 小林 正敬(こばやし まさたか) — まさぼ内科・糖尿病クリニック飯田橋院 代表理事。糖尿病専門医・総合内科専門医。


サン=テグジュペリは「砂漠が美しいのは、どこかに井戸を隠しているからだ」という意味のことを書いた。夏の身体も、たぶん、似ている。

アイキャッチ:真夏の窓辺、机に水のボトルを置いた診察室の医師

朝、診察前のコーヒーを淹れる手が、なんとなく重い。7月の頭、まだ夏は本気を出していないのに、窓の外の空気は、すでに「これから3ヶ月、よろしくな」と低い声で挨拶してくる。今年の予報は、また厳しい。気象協会の3ヶ月予報では、6〜8月は全国的に高温、40℃以上の「酷暑日」が、全国でのべ7〜14地点で観測される見込み、と出ていた。一年でいちばん、僕が外来で「水、飲んでますか」を繰り返す季節がやってくる。

そして、この季節になると、糖尿病外来には、ある特定の数字の乱れが、ぽつぽつと現れはじめる。食事も運動も大きく変えていないのに、HbA1c や、その日の血糖が、なぜか上を向く。本人は「夏は食欲も落ちてるのに、なんで」と首をかしげる。

今日はその話を書く。夏の脱水と、血糖の、見えにくい連立方程式の話、なのだ。

「のどが渇いた」は、すでに手遅れのサイン

まず、いちばん地味で、いちばん大事な話から。

渇きという警報は、いつも火事のあとで鳴る。 のどが渇いた、と感じた時には、体の水位は、もう静かに下がりきっている。口渇のセンサーは、体内の水分が1〜2%減ってから、ようやく重い腰を上げて鳴りはじめる、反応の遅い警報機で、しかも年齢を重ねるほど、その鳴り出しはさらに遅れていく。「まだ渇いてないから大丈夫」は、夏がいちばん好んで人にささやく、油断の言葉だ。

冒頭に借りた「井戸を隠した砂漠」のたとえは、たぶん、水というものが、見えないところで人を生かしている、という感覚の話なのだと思う。夏の身体も、よく似ている。体の中に隠れている水の量を、僕らは普段ぜんぜん意識しないまま、平気で歩き回っている。 そして、隠れた井戸が干上がりかけて初めて、慌てる。

脱水が、なぜ血糖を押し上げるのか

ここからが、内分泌の医者として、いちばん書いておきたいところ。

体から水が抜けると、血液の中の水分も減る。すると、同じ量の糖が、より少ない水に溶けることになるので、血糖の「濃度」が上がる。 コーヒーのお湯を半分に減らせば、同じ砂糖でも味が濃くなる、あれと理屈は同じ。脱水は、糖の量が変わらなくても、見かけの血糖値を押し上げる。

それだけではない。体は水が足りないと感じると、ストレスホルモン(コルチゾールなど)を動かして、肝臓から糖を絞り出す方向に働く。脱水そのものが、血糖を上げる方向のスイッチを、いくつも押してしまう。 夏に「食べてないのに数字が高い」が起きる背景には、この、水と糖の、見えにくいやりとりがある。

しかも、ここに悪循環が乗る。血糖が高くなると、体は余った糖を尿に捨てようとして、尿の量が増える。尿が増えれば、さらに水が失われる。水が減れば、血糖はまた濃くなる。渇き → 高血糖 → 多尿 → さらに渇き、という、夏のぐるぐる回る輪。糖尿病の方が夏に体調を崩しやすいのは、この輪に入りやすいから、というのが大きい。

薬を使っている人は、もう一段の注意がいる

ここは、糖尿病で治療中の方に、はっきり書いておきたい。

近年よく使われる SGLT2阻害薬は、余った糖を、尿という勝手口からそっと外へ逃がしてやる薬だ。よくできた逃げ道で、血糖はちゃんと下がる。ただ、薬の逃げ道には、逃げ道なりの管理がいる。その勝手口からは、糖と一緒に、水も静かに出ていく。 多くの方では大きな問題になりませんが、暑さ・発汗・食事量の低下・下痢や嘔吐などが重なると、水が出ていく扉が、いくつも同時に開いてしまう。

だから夏は、SGLT2阻害薬を使っている方ほど、脱水のサインに早めに気づき、水分摂取や受診のタイミングを意識することが大切になる。同じく、血圧の薬で利尿剤を使っている方も、夏は水のバランスが崩れやすい。「いつもの薬」を、いつも通り飲んでいるだけなのに、季節のほうが条件を変えてくる。薬は変わっていないのに、夏が前提を書き換える、というのが、この季節の難しさである。

とくに、発熱、下痢・嘔吐、食事がとれないといった時(医療では「シックデイ」と呼ぶ)は、薬の扱いを含めて、早めに主治医へ相談してほしい。念のため書いておくと、これは「夏は薬をやめましょう」という話では、まったくない。自己判断で薬を中断するのも、自己判断で続けるのも、どちらも危ない。 暑さで体調が変だな、と思ったら、ひとりで決めずに、主治医に相談してほしい。

何を、どう飲むか、という地味な問題

水のグラスと麦茶、奥に控えるスポーツドリンク。夏の飲み物の選択

「じゃあ水をがぶがぶ飲めばいいんですね」と言われると、半分は正解で、半分は注意がいる。

  • 基本は水か麦茶。喉が渇く前から、こまめに。一気飲みより、ちびちび
  • 大量に汗をかいた時は、塩分も。水だけを大量に飲むと、体の塩分が薄まりすぎて、かえってだるくなることがある。経口補水液や、ひとつまみの塩、味噌汁などで補う。ただし経口補水液は糖分・塩分を含むので、糖尿病や腎臓・心臓に持病のある方は、使い方を一度主治医に確認しておくと安心
  • ただし、糖尿病の方は「スポーツドリンク漬け」に注意。一般的なスポーツドリンクや清涼飲料は、思っているより糖が多い。これを水代わりに一日中飲むと、「ペットボトル症候群」と呼ばれる、急激な高血糖を起こすことがある。夏の救急で、実際に時々みる
  • アルコールは水分にカウントしない。むしろ利尿で水を奪う。「ビールで水分補給」は、残念ながら、夏のいちばん優しい嘘

何を飲むか、というのは、夏の身体にとって、地味だけれど決定的な選択になる。子規が病の床で、夏の水や果物の冷たさを、あれほど丁寧に書きつけたのは、たぶん、弱った身体には、口に入るもの一つひとつが、もう「ただの飲み物」ではなかったからだと思う。夏は、健康な人にとっても、口に入れるものの解像度が、少しだけ上がる季節なのかもしれない。

エアコンを我慢する、という、いちばん高くつく節約

ここで、医療と家計が交差する、今年らしい話を一つ。

物価高の夏である。電気料金も上がり続けていて、「エアコン代がこわい」という声を、外来でも、世間話のように聞く。気持ちは、痛いほどわかる。けれど、医者として、これだけは言っておきたい。熱中症は、屋外より、むしろ室内で起きることのほうが多い。 「自分は家にいるから大丈夫」が、いちばん危ない思い込みで、エアコンを我慢して閉め切った部屋は、しばしば外より危険な箱になる。

そして、ここに脱水と血糖の輪が、しれっと乗ってくる。閉め切った暑い部屋で、知らないうちに汗をかき、水が不足し、血糖が濃くなり、だるくなって、さらに動けなくなる。エアコンを切って浮かせた数百円は、ときどき、点滴一本に姿を変えて、利息をつけて取り立てにくる。 いちばん高くつく節約とは、たいてい、こういう涼しい顔をしている。28℃を目安に、つけるべき時はつける。節約の計算には、たいてい、身体のぶんの費用が書き忘れられている、というのが、この夏、僕が外来でいちばん言いたいことかもしれない。

自費か保険か、という、今回も少しだけ

「夏バテ対策に、点滴ってどうですか」と、この季節よく聞かれる。いわゆる「にんにく注射」や「美容点滴」的なもの。

結論から言うと、ちゃんと水が飲めていて、食事も摂れているなら、点滴より、まずは経口で十分なことがほとんど。本当に脱水が進んで、水も飲めない、というレベルなら、それは点滴の前に受診が必要なサイン。当院は糖尿病の保険診療を中心に、漢方内科も並走しているので、夏のだるさ・食欲不振・血糖の乱れを、別々に切り分けずに、ひとつの外来で診られるのが強み。清暑益気湯のような、まさに夏のための漢方が効く方もいる。自費の選択肢も置いてはあるが、まずは保険でできる足元を固めるほうが、たいてい本人の総コストは下がる。これは、季節が変わっても、変わらない。

地味な5つ、という、いつもの結論

夏の食卓で、水と麦茶を飲む高齢の女性と家族

医学の意地悪なところは、最善の処方箋がいちばん地味なところにある、ということ。夏も、地味な5つを置いておく。

  • 渇く前に飲む。喉が渇いたら、すでに手遅れの入り口。時間で区切って、ちびちび
  • 起き抜けと寝る前のコップ一杯。睡眠中は、思っているより水が抜ける
  • 糖尿病の方は、水か麦茶を基本に。スポーツドリンクの一日中飲みは避ける
  • 薬を使っている方は、夏のあいだ、水分を意識的に。SGLT2阻害薬・利尿剤の方はとくに。体調が変なら、薬をやめる前に主治医へ
  • 速歩は朝夕に。前回(第7回)の話の続きですが、真夏の日中の運動は、血糖より先に熱中症が来る

これだけ。地味な5つで、自分でも「毎年これを言っている」と苦笑する。けれど、夏の身体は、隠れた井戸の水位を、自分ではなかなか測れない。測れないものを、時間で補うしかない、というのが、夏の水分補給の、地味な本質だったりする。渇いてから飲むのではなく、時計を見て飲む。身体のセンサーより、台所の時計のほうを、夏だけは信用する。

そんなわけで、僕は今日から、診察室の机に、水のボトルを一本、置くことにする。

たぶん。

4コマ漫画:あとで水飲も今いそがしい → あれもう喉カラカラ → やっぱ気づいた時は遅い → 机に一本置くことにした

院長後記

書きながら気づいたんですが、僕は患者さんに「こまめに水を」と言いながら、自分は外来が立て込むと、午前中ぜんぶ一滴も飲まずに走り抜けて、昼に一気にコーヒーを流し込む、という、教科書みたいな悪い見本を実演していました。喉が渇いたと気づく頃には、たいてい昼を回っています。明日からは、診察と診察のあいだの数秒で、ひとくち飲む。書いておけば、来週の自分が、机の上のボトルを見て、苦笑しながらひとくち飲むかもしれません。書いておくのは、たぶん、そういう用途のものだったりもするのです。

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この記事を書いた人

まさぼ内科・糖尿病クリニック飯田橋院 代表理事 / 院長。日本糖尿病学会 糖尿病専門医/日本糖尿病協会 糖尿病認定医/日本内科学会 認定内科医・総合内科専門医/日本内科学会 認定医制度審議会 病歴要約評価委員/日本老年医学会 老年科専門医・指導医/日本抗加齢医学会 抗加齢専門医/日本消化器内視鏡学会 消化器内視鏡専門医/ICD制度協議会 インフェクションコントロールドクター。医籍登録番号 第486214号。国立国際医療研究センター国府台病院で内科研修を始めた後、糖尿病内科の道に進み、現在は最新の薬物療法(GLP-1作動薬・チルゼパチド等)と、栄養・運動・漢方を組み合わせた包括的な糖尿病・代謝診療を実践しています。

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