第12回|お盆の実家で、いちばん雄弁なのは、仏壇ではなく、薬箱かもしれない。

アイキャッチ:お盆の実家、茶箪笥の引き出しを開けて中の薬の袋を見ている医師

第12回|お盆の実家で、いちばん雄弁なのは、仏壇ではなく、薬箱かもしれない。

帰ってきた息子には、親の白髪より先に、薬の袋の数のほうが見える。

アイキャッチ:お盆の実家、茶箪笥の引き出しを開けて中の薬の袋を見ている医師

目次

帰省の荷物は、行きが軽くて、帰りが重い

今朝のニュースが、下りの新幹線はきょうあたりがピークです、と言っている。JR東日本の混雑予測でも、東北・上越・北陸方面へ向かう下りの山は8日の土曜、戻りの山は16日の日曜、と出ていた。つまり、この原稿が世に出るころには、日本中の家族が一斉に同じ方向へ移動している最中ということになる。ホームの立ち食いそば屋の前で、キャリーバッグと土産袋を両手に提げた人たちが、汗を拭きながら順番を待っている。あの光景が、僕は昔から嫌いではない。

今年のお盆は8月13日から16日。木曜から日曜という並びの良さで、新幹線の予約サイトは早い時期からきれいに埋まりつつあった。僕はといえば、飯田橋のクリニックはお盆がまるまる平日なので、1日も閉めずに通常どおり開けている。帰省していく東京を、診察室の窓から見送る係である。

実家というのは不思議な場所で、玄関を開けた瞬間、時間の流れる速さが変わる。台所には何年前からあるのか分からない佃煮の瓶が鎮座していて(たぶん中身は三代目)、向田邦子のエッセイからそのまま抜け出してきたような空気が、換気扇の下にたまっている。母は開口一番「痩せたんじゃないの」と言う(毎日走っている分、食べる量も一人前半なので、たぶん現状維持です)。父は野球を見ている。テレビの音量は、去年より二目盛りぶん大きい。ここまでが、毎年の定型文。

……と、ここまで書いて、今年の僕はひとつ、宿題を積み残していることに気づいた。盆に開けられないぶん、次に顔を出す日に持ち越しの宿題。実家の、というより、おばあちゃんの家の茶箪笥の二段目である。あの、輪ゴムと古い領収書と一緒に、薬の袋が押し込まれている引き出しの話を、今回はしたい。

実家の薬箱は、静かな多国籍軍である

引き出しいっぱいの薬の袋とシート。複数の診療科から出たものが、束ねられないまま積み重なっている

外来で「親の薬」の相談を受けるたび、思い浮かべる光景がある。内科の袋、整形外科の袋、皮膚科の塗り薬、眼科の点眼、歯科でもらった痛み止め、そして通販のサプリが2種類。それぞれ別の国から来て、同じ引き出しに駐留している。統一司令部は、ない。

誰かがだらしなかったから、こうなったのではない。それぞれの科は、それぞれの正しさで処方している。膝が痛ければ痛み止めが出て、痛み止めで胃が荒れれば胃薬が出て、胃薬を足したころに眠りが浅くなって睡眠薬が加わる。薬の副作用が新しい症状の顔をして現れ、その症状にまた薬が出る──医療の世界ではこれを処方カスケードと呼ぶ。要するに、正しさの足し算だけが続いて、引き算の担当者が決まっていない状態のことだ。

ややこしいのは、ここに保険外の勢力──通販のサプリ、テレビで見た健康食品──が音もなく合流することである。サプリは処方箋を通らないから、どの医者のカルテにも載っていない。多国籍軍の中に、名簿に載らない義勇兵が混ざっているようなものだ。読み合わせの席には、この義勇兵も全員連れてきてほしい。飲んでいるものは、恥ずかしがらず全部申告してほしいのだ。診察室で怒る医者は(少なくともうちには)いない。

雪の結晶を、天から届いた手紙のように読んだ物理学者がいた。その伝でいくなら、実家の薬箱は、5つの診療科から親の身体に宛てて送られた手紙の束である。宛名はぜんぶ同じ。なのに、束ねて読み合わせた人が、まだ誰もいない。

厚生労働省の「高齢者の医薬品適正使用の指針」は、ポリファーマシーという言葉を「単に薬が多いこと」ではなく、多さが害に変わっている状態、と定義している。数そのものは罪ではない。読み合わせのないまま増えていくことが、リスクの正体だ。

「6」という数字の、正しい読み方

同じ厚労省の指針には、6種類以上の薬剤で薬物有害事象の発生が増えたというデータが引かれている。そして、75歳以上ではおよそ4人に1人が7種類以上を処方されている、という調査も載っている。つまり、実家の引き出しが多国籍軍化しているのは、あなたの家だけの現象ではない。全国の茶箪笥で、同時多発的に起きている。

ただ、この「6」という数字、読み方に注意がいる。指針自身がわざわざ釘を刺しているのだ。何剤からが多すぎるという厳密な線引きはなく、6剤必要な人もいれば、3剤で問題が起きる人もいる。本質は数ではなく中身だ、と。

数字は合図であって、判決ではない。引き出しに袋が6つあったら、それは「親を叱る理由」ではなく「一度、専門家に束ねて見せる合図」である。合図と判決を取り違えると、盆の茶の間が法廷になる。あれは、うまくいった試しがない。

言い方にも、実は技術がいる。「こんなに飲んで大丈夫なの?」は、心配のつもりでも詰問に聞こえる。「今度、先生に全部まとめて見てもらおうよ。僕が付き添うから」は、同じ心配が提案に聞こえる。親というのは、子に心配されることには慣れていないくせに、誘われることには案外弱い生き物である。

真夏の薬は、春と同じ顔をして、別の仕事をする

今年の夏は、記録のほうが先に音を上げている。40度以上を観測した「酷暑日」の延べ地点数は、8月3日の時点で34地点。昨年の最多記録だった30地点を、盆に入る前にもう塗り替えてしまった。実家のある町の予報を毎朝ひらく人が、この夏はきっと増えている。

この暑さの中で、僕がひそかに気にしているのは、糖尿病の薬の何種類かが、夏だけ少し危険な顔を見せることだ。

たとえば尿から糖を逃がすタイプの薬(SGLT2阻害薬)は、糖と一緒に水分も連れ出すので、猛暑では脱水に傾きやすい。指針も、発熱や下痢、食欲が落ちて食事がとれない日──いわゆるシックデイ──には必ず休薬、とはっきり書いている。古いタイプの血糖降下薬(SU薬)は、盆の暑さで食が細くなった高齢者では低血糖の側に振れやすい。処方箋の文字は春と一字も変わらないのに、担当している仕事の危うさだけが、季節で変わる。

ここで大事なのは、こういう変化に最初に気づけるのが、しばしば本人ではなく、久しぶりに帰ってきた家族だということ。毎日会っている人には見えない変化が、一年ぶりの目には見える。「なんか食欲ないみたいだけど、その間も薬ぜんぶ飲んでるの?」──この一言が言えるのは、帰省した人だけの特権である。

観察のポイントは、難しくない。食欲。飲み物の減り方。トイレの回数。昼寝の長さ。そして薬の残り方──シートの空き方が、曜日とズレていないか。飲み忘れを見つけても、責める必要はない。「ズレている」という情報そのものが、次の診察で宝になる。

間引きたくなる手と、間引いてはいけない理由

さて、引き出しを開けて袋の数を見た瞬間、たいていの人の手は同じ動きをする。「多すぎでしょ。これとこれ、いらないんじゃない?」──親孝行のつもりの、間引きの手つきである。

その手を、いったん止めてほしい。

血圧や血糖の薬は、続いていること自体が仕事をしている。数値が安定して見えるのは、薬が毎日、水面下で静かに働いているからで、自己判断で抜けば、その静けさごと消える。多国籍軍の中のどれが主力で、どれが古参で、どれが実はもう任務を終えているのかは、外から見ただけでは分からない。間引きは、引き出しの前でやる作業ではなく、処方医と薬剤師の机でやる作業だ。

家族にできるのは、そしてこれが実はいちばん効くのだけれど、「気づいて、束ねて、運ぶ」ところまでである。厚労省の「患者のための薬局ビジョン」も、複数のお薬手帳は一冊化・集約化を、と明記している。手帳が三冊に分かれたままでは、束ねて読む人が現れようがない。ついでに言えば、飲み残しの薬(残薬)が全国でどれくらい捨てられているかの推計は、調べ方によって年間百億円台から数千億円台まで大きな幅があって正確な額は誰にも言えないのだが、額の議論より、実家の引き出しの三袋のほうが、確かな現実である。

ついでに、間引きたくなる気持ちの正体についても書いておく。あれはたぶん、薬への不信というより、親の老いを一枚でも薄くしたい、という気持ちの変換だ。袋の数は否応なく通院の歴史で、通院の歴史は、そのまま年月である。減らしたいのは薬ではなく、本当は時間のほうなのだ。そして時間は間引けないが、読み合わせなら、今日からできる。

自費か保険か、という、帰省の夜にもある相談

お盆明けの外来は、少しだけ面白い。親のことを相談しに来たはずの息子さんが、話の後半、いつのまにか自分の腹回りの話をしている。帰省して親の薬箱を見て、実家の鏡で自分の腹を見て、二段構えで効いたらしい。夏の風物詩だと思っている。

うちは糖尿病の保険診療を土台にしているクリニックで、その延長で、自由診療のGLP-1も選択肢として置いている。ただ、親の引き出しで「読み合わせのない足し算」の怖さを見てきたばかりの人に伝えたいのは、順番の話だ。新しく何かを足す前に、いま自分の身体に並んでいるもの──数値、食事、睡眠、そして薬──の読み合わせから始めるほうが、足すものの効きも判断も、確実になる。

この話の続きは、その息子さんが秋に、自分の健診結果を持って戻ってくる日のために取っておく。今回の主役は、あくまで親のほうなので。

4コマ漫画(縦・上から下へ):①引き出しを開けて驚く息子「これ、全部飲んでるの?」②母「ぜんぶ必要だって言われたのよ」③引き出しの中身「内科、整形、皮膚科、眼科——出どころは、五つ。」④診察室で気づく「この一袋、僕が出したやつだ」

帰省かばんに入れる、地味な5つ

  1. お薬手帳を一冊にする。 科ごと薬局ごとに分かれた手帳を、物理的に束ねる。電子版なら一つのアプリに寄せる。束が一つになった瞬間、初めて「全体」が生まれる。
  2. 薬箱の写真を撮る。 全景一枚、袋ごとに一枚。次の受診で医師か薬剤師に見せれば、それだけで読み合わせが始まる。診察室で記憶だけを頼りに「白くて丸い錠剤」を再現しようとするより、写真は千倍強い。
  3. 「シックデイ」という単語を、親と共有する。 食べられない日に飲んでいい薬・休む薬の区別を、次の診察で聞くことをメモにして、冷蔵庫に貼って帰る。
  4. 水の置き場所を一つ増やす。 台所だけでなく寝室に。真夏の薬と脱水の相性の悪さは、置き場所ひとつで少し変わる。ついでにエアコンのリモコンを「自動」に合わせて帰るのも、指一本でできる立派な医療行為だと僕は考えている。
  5. 年に一度だけ、受診に付き添う。 一度同席するだけで、処方の全景と、主治医の顔と、親が診察室で見せる顔(家で見せる顔とは別人である)が全部見える。主治医に「息子です」と一度挨拶しておくと、いざという時の電話が一本で通るようになる。これは効く。

五つとも、医学というより荷造りの話である。けれど9月の外来で実際に効いているのは、たいてい、こういう地味な荷物のほうだ。

帰りの新幹線は、行きより荷物が重い。梨と、佃煮と、スマホの中に薬箱の写真が一枚。8月16日の上りの車内というのは、おそらく日本でいちばん、家族のことを考えている人口密度が高い場所で、窓の外が流れ、缶のお茶がぬるくなるころ、さっき別れた親の冷蔵庫の中身なんかをふと思い出したりする。その時間に写真フォルダが一枚ぶん重くなっている。……その重さは、悪くない重さだと思う。

夕方の実家の食卓。母と息子が向かい合い、まとめられた薬の袋と麦茶が置かれている

院長後記

他人の実家の薬箱について五千字も書いてしまった罰で、盆を診察室で過ごした僕は、次に顔を出す日、おばあちゃんの家の茶箪笥の二段目を開ける番になりました。うちの実家は薬の相談で息子の出る幕がない家なので、腕の見せどころは、もっぱらそちらです。両親には「仕事の続きみたいな顔で帰ってくるな」と言われそうですが、書いた本人がいちばん逃げられなくなる、というのがこの連載のいちばん地味な副作用です。効能かもしれませんが。


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この記事を書いた人

まさぼ内科・糖尿病クリニック飯田橋院 代表理事 / 院長。日本糖尿病学会 糖尿病専門医/日本糖尿病協会 糖尿病認定医/日本内科学会 認定内科医・総合内科専門医/日本内科学会 認定医制度審議会 病歴要約評価委員/日本老年医学会 老年科専門医・指導医/日本抗加齢医学会 抗加齢専門医/日本消化器内視鏡学会 消化器内視鏡専門医/ICD制度協議会 インフェクションコントロールドクター。医籍登録番号 第486214号。国立国際医療研究センター国府台病院で内科研修を始めた後、糖尿病内科の道に進み、現在は最新の薬物療法(GLP-1作動薬・チルゼパチド等)と、栄養・運動・漢方を組み合わせた包括的な糖尿病・代謝診療を実践しています。

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