執筆: 小林 正敬(こばやし まさたか) — まさぼ内科・糖尿病クリニック飯田橋院 代表理事。糖尿病専門医・総合内科専門医。
体重計は拍手してくれても、血糖値は無言で帳尻を合わせにくる。

朝の診察前、コンビニのおにぎり棚の前で数秒止まる。鮭にするか、ツナマヨにするか、いや、そうだ今日は血糖の話を書く日だった、と思い出して鮭を取り、戻し、ツナマヨを取り、また戻す。値札を見るとおにぎり1個180円台が当たり前になっていて、令和の米騒動はまだ全然終わってないんだなあ、とぼんやり思う。スーパーでは5kg 4,400円を超え、家庭ではカルローズ米と国産米を混ぜて炊く工夫が広がり、外食ではご飯が小盛りデフォルトの店が増えてきた。誰も主役の交代を宣言していないのに、僕らの食卓では「米」という長く居座っていた主役が、そっと一歩下がろうとしている。
そんな時代に、「考える葦」が朝のコンビニで揺れている。パスカルは『パンセ』で「人間の不幸はすべて、部屋にじっとしていられないことから来る」と書いたけれど、令和の僕は部屋にいられないどころか、コンビニのおにぎり棚の前にすら長居できない。後ろに次の客が並んでいる。スティーブ・ジョブズが黒タートルを毎日着ていた逸話は「決断疲労」という名前とセットでもう何十回も擦られたけれど、コンビニの照明の下で僕の背中を見たら、彼ならたぶん「ほら、だから言ったろう」と肩をすくめるに違いない(笑)。医者のくせに朝のコンビニで人生の岐路に立っている、なワケで。
そんなことを考えていたら、外来でこういう相談がある。健診で軽い高血糖を指摘された方が、雑誌で見ました、知り合いがやってます、SNSで見ました、と前置きしてから、「先生、糖質制限って糖尿病にも効くんですよね? お米も高いし、ちょうどよくないですか?」と聞いてくる。
「ええ、まあ、血糖の改善に役立つ場合は……ただ、誰にでも同じように勧められるかというと、ちょっと違うんですよね」と僕は答えて、しばし黙る。沈黙。
ここに、本コラムでいちばん厄介な誤解が眠っている。糖尿病の食事管理と、ダイエットの食事管理。同じ茶碗を覗いているようで、奥に流れている目的地が全然違うじゃん、と。「医食同源」という、誰でも聞いたことのある四字熟語がある。本来は「日々の食事も薬も、源は一つ」という穏やかな東洋医学の思想なんですけど、令和のSNSの解像度で読むと「食えば治る」と早合点されがちで、薬の話が抜け落ち、医療の話が抜け落ち、結果だけが残る。残された結果は、たぶん、どこかで利息をつけて取り立てに来るのだ。
……話がそれた。いや、まだ始まってもいないか。いい加減本題に入ろう。
そもそも別ゲーである、というところから
ダイエットの目的は、シンプルに「体重を減らす」こと。体重計に乗って数字が下がれば勝ち、というルールのゲームじゃん。
糖尿病の食事管理は、そうじゃない。目的は「血糖を安定させる」「合併症を防ぐ」こと。体重が減るのは結果のひとつ、本筋ではない。むしろ短期で派手に落としすぎると、低血糖を起こしたり、サルコペニア(筋肉量の低下)を招いたりして、別の問題をしれっと呼び寄せたりする。
ゲームに喩えるなら、ダイエットは「タイムアタック」、糖尿病の食事管理は「ノーミスでロングプレイ」。喩えが俗っぽい自覚はある。あるんだけど、ロングプレイ側にエンディングは無い。プレイし続けること自体が、勝利条件、というワケなのです。
ブリューゲルに『収穫人たち』という絵がある。麦の刈り入れの最中、手前で農夫たちが昼食を取り、向こうではまだ刈っている者がいて、片隅で寝そべっている者もいる。一枚の画面に「同じ収穫期」の複数フェーズが共存している絵で、僕はあの構図を見るたび、糖尿病外来の一日とよく似ているなあと思う。同じ「食事管理」というテーマでも、走り始めた人、息切れしている人、休んでいる人、復帰した人が、同時刻に、同じクリニックの待合室で雑誌をめくっている。そこに「タイムアタック」のテンポは流れていない。流れているのは、もっと地味な、麦秋の昼下がりの時間、なのです。
ところで、令和のSNS界隈では「ゆるロカボ」「プロテインファースト」「ゆるファスティング」「エクササイズスナック」あたりが2026年のトレンドとして並んでいる。共通しているのは、頭に「ゆる」がつくこと、もしくは「スナック」のように小さく刻むこと。完璧にやらない、ちょっとだけやる、隙間時間でやる。10年前の「シックスパック!糖質ゼロ!1日5食!」みたいなマッチョな号令から、世間の気分はずいぶん遠くまで来た、というのが正直な印象。これはこれで悪いことじゃないと僕は思っていて、「ゆる」のついた食事法や運動法は、糖尿病外来でも実は接続しやすい。長く続けられないものは、結局のところ続けられない、というだけの当たり前の話なんだけど、当たり前のことが当たり前に世間に浸透するまでには、なぜか10年単位でかかる。
体重計は数字でわかりやすく拍手してくれる。「2kg減りましたね、おめでとう!」と。けれど血糖値は、もっと地味で、もっと無口で、もっと長期戦。HbA1cという、過去1〜2ヶ月(とくに直近1ヶ月)の血糖の影響を反映する数値は、ダイエットほどドラマチックには動かない。動かないクセに、確実に未来の合併症リスクを左右している。グレン・グールドが弾く『ゴルトベルク変奏曲』のアリアみたいに、ほぼ動いていないように聞こえて、確実に何かを変えていく、ああいうやつ。舞台の袖から黙ってこちらを見てくる数値こそ、いちばん油断できないやつだったりするのだ。
「体重計は拍手してくれても、血糖値は無言で帳尻を合わせにくる」というのは、そういう話でした。
ガイドラインを毎年読む医者なんていない、と思いきや
ところで、医療系のガイドラインって、読みますか? ……一般の方はもちろん読まないし、実は医師の側でも、毎年改訂が出るたびに「うへぇ、今年もか」と一瞬怯んでから、結局はコーヒーを淹れ直して目を通す、というのが正直なところ。読まない医者もいる。読まないとどうなるか。たぶん5年後くらいに「先生、それは今もうやってないですよ」と若い先生に苦笑される、という芥川の短編にありそうな展開を踏むことになる。寒い。だから読みます。
「朝令暮改」という四字熟語は、もとは政の不安定さを批判する言葉だけれど、医療ガイドラインの世界で同じ現象が起きると、人はそれを「日進月歩」と呼び換える。同じ動きを、文脈ひとつで美徳にも悪徳にも変えてしまえる、というのが日本語のおそろしさで、医療の言葉ともしばしば相通じる。たぶんマスコミの見出しも、ここで毎日揺れている(汗)。
日本糖尿病・生活習慣病ヒューマンデータ学会が出している「糖尿病標準診療マニュアル」、最新の2026年版が公開されています(糖尿病リソースガイドの解説、マニュアル本体PDF)。一般診療所・クリニック向け、つまり町のクリニックで毎日使う、いわば現場の手元書。
このマニュアルの食事療法の章、けっこう柔軟に書いてあるんですよね。過体重・肥満を伴う2型糖尿病の血糖コントロールのためには、まずエネルギー摂取量の制限が推奨されている。そして地味に最近の流れなんですけど、「2型糖尿病の血糖コントロールのために、6〜12ヵ月以内の短期間であれば炭水化物制限は有効である」と明記されている(マニュアル本文の食事療法の項より、原文ママ)。
つまりガイドラインは、「糖質制限はダメ」とも「糖質制限こそ万能」とも言っていない。期間と目的を区切れば使える、という、医療らしい中庸の書き方をしているのです。
中庸、というと聞こえはいいんだけど、これは要するに「白でも黒でもなく灰色」と言っているわけで、SNSの「右に振り切るか、左に振り切るか」という二極化の空気とは、絶望的に相性が悪い。アリストテレスが『ニコマコス倫理学』で説いたメソテース(中庸)の話を令和のタイムラインで持ち出すと、たぶん3いいねくらいで沈む。SNS上で「糖質制限はダメ派」と「糖質制限こそ正解派」がいまも殴り合っているあの賑やかな広場には、この灰色こそ届いてほしいんだけれども、灰色は再生数を稼げない。だから届かない。たぶん、これからも届かない。
ついでに海の向こうもチェックしておくと、米国糖尿病学会の「Standards of Care in Diabetes」も2026年版が出ました(ADA 2026紹介)。あちらも「個別化」「持続可能性」がキーワード。日米そろって「絶対王者の食事法はない、お前の人生に合わせろ」と言っているわけで、なんだか哲学である。快楽は最高善だと唱えたエピクロスと、徳こそ最高善だと譲らなかったストア派が、2026年の糖尿病ガイドライン上でようやく和解した、みたいな話なのだ。歴史って、こういう奇妙な合流点で意外に進む。
16時間断食、ぶっちゃけアリなのかナシなのか
近年、外来でいちばん聞かれる質問が「先生、16時間断食って効きます?」というやつ。多すぎる。週に何人かは必ずいる。流行ってる。
そもそも「断食」という概念は、人類史的にはやたら古い。イスラムのラマダン、キリスト教の四旬節、仏教の千日回峰行、日本古来の物忌み。「節制」が宗教的な徳目だった時代の名残が、令和の東京で「16/8時間制限食」という名前で復活している、というのは、文化人類学的にちょっと面白い現象なのだ。古来、断食は神に近づくための行為だった。現代、断食はジーンズに収まる腰回りに近づくための行為になった。神のスケールが、少しだけ更新された、と言えなくもない。……書いておいて、自分でちょっと引いた。
正直に書くと、僕も最初は「うーん、流行りだしなあ……」と斜めに見ていた口でした(医者のくせに、流行りものに斜めに構えるのは、我ながらよくない癖です)。SNS発の健康法は、3年で半分くらいは静かに消えていく、というのが僕の体感の母集団なので、つい最初は半信半疑になる。
ところが、PubMedを覗いてみたら、最近の研究はけっこう真面目で。2025年に出たメタアナリシスでは、ランダム化比較試験8本・計312名の2型糖尿病または空腹時血糖異常を持つ方を対象にレビューし、定量解析可能な試験で、時間制限食(TRE: Time-Restricted Eating)の効果を統合的にまとめている(PubMed: TREのメタ解析)。結果、TREは空腹時血糖とHbA1cの改善傾向、TIR(血糖が目標範囲に収まっている時間の割合)の増加が示された。研究間のばらつきも比較的小さく、再現性がそれなりにある。
ただし。話はここから少しややこしくなる。
2026年2月、Cochrane Library に系統的レビューが出ました(Euronewsの報道)。22のランダム化比較試験、約2,000人の成人を対象に「インターミッテント・ファスティング(IF)」と通常のダイエット指導を比べたところ、体重減少において臨床的に意味のある差は認められなかった、という結論。Cochraneレビューでこの結論が出るのは、ぶっちゃけ重い。一方で、TREについては小規模試験の段階で代謝指標やインスリン感受性へのポジティブな影響を示す報告も継続して出ていて、要するに「体重を落とす道具としては期待外れ気味、でも代謝の質を整える道具としては未だ可能性あり」という、ふたつの顔が同居している状態なのだ。
この、ポジとネガが同じシーズンに並ぶ感じ。学問の現場ではよくあること、いや、健全な状態なのですが、SNSのタイムラインに乗ると話は一変する。同じ週に「16時間断食、やっぱ効くらしい!」と「16時間断食、結局意味なかった!」が、別々のインフルエンサーから別々のサムネ画像で投下され、それを別々の患者さんが別々の外来に持ち込んでくる。診察室では翻訳作業が要る。SNSの言語を、医療の言語に翻訳して返す、という仕事が、もう実質的に外来の業務の一部、なのだ。
要するに何が言いたいかというと、TREは「やる気のある一部の2型糖尿病患者には、空腹時血糖とHbA1cの改善が期待できそう」、けれど「全員に同じ効果が出る万能法ではない」、というあたりに、2026年現在の科学のコンセンサスは落ち着いている。ぶっちゃけアリかナシかと言われれば、条件付きでアリ。ただし、と。ここがでかい「ただし」なのです。
これは「誰でもやれ」という話じゃない。インスリンやSU薬(スルホニル尿素薬)を使っている方は、長時間の空腹で低血糖のリスクがある。腎機能が落ちている方や、痩せている高齢の方は、栄養不足のリスクがある。妊娠中の方も、もちろん別。「万能薬」と書いて「胡散臭い」と読む、というのが、医学を学ぶ過程で叩き込まれる第一戒みたいなもので、TREに限らず、どんな食事法も「全員に効く」と言った瞬間に信用を失う。
僕が外来で「16時間断食、やってみていいですか?」と聞かれたら、まず内服薬、体格、年齢、生活リズム、家族構成(食事を一人で決められるか)まで聞いてから、ようやく返事をする。雑誌の「16時間断食特集」を全否定する気はないんですが、「あなたの体に合うかどうかは別問題」というのは、何度でも申し上げたいワケなのです。

押し上げては転がり落ちる、という景色
ダイエット側の話に戻すと、もう一つ、地味に怖い現象がある。リバウンドだ。
ここで具体的な数字を出して脅したい誘惑は、書き手としてもないわけじゃないんだけれども、リバウンドにまつわる統計は、研究の規模・期間・対象・「リバウンドの定義」そのものでブレ幅が大きく、ある数字をひとつ持ち出して断言した瞬間、その数字は文脈を引き剥がされてSNSのスクリーンショットに化ける。だから今日はあえて、数字を持ち出さずに書きます。代わりに、外来で繰り返し見てきた景色のほうを書きます。
短期で派手に体重が落ちた方ほど、半年〜1年あとの外来で、なんとも申し訳なさそうな顔をして「先生……戻っちゃいました」とおっしゃることが多い、という、たぶん同業の先生方なら全員うなずく類のあるあるが、まずひとつ。
それから、カミュの『シーシュポスの神話』。岩を山頂まで押し上げては転がり落ちる、を永遠に繰り返す神話の男。減量の取り組みって、よくよく考えると、あの神話の構造とちょっと似ている。押し上げた瞬間に勝った気がして、転がり落ち始めると一気に虚しくなる。カミュは「シーシュポスは幸福であると考えなければならない」と書いた。たぶん、ダイエッターも岩を押している最中はそれなりに幸福で、本当に大変なのは、押し上げ終わったあとの維持の数ヶ月、なのだ。
ついでに2026年の物価事情を一行だけ重ねておくと、米5kgが2026年初頭の調査で平均4,416円まで上がり、帝国データバンクの調査では5月の飲食料品値上げが70品目(うち菓子が38品目)、家計はじわじわと食卓を圧縮している。「米を減らした」「夕飯を抜いた」「ランチを買わなかった」が、本人の意思とは別に、財布の都合で発生しているケースも珍しくない。意図せぬ「節約ダイエット」が始まり、意図せぬ糖質制限が走り、意図せぬ筋肉量低下が起き、意図せぬ血糖の乱高下に着地する。シーシュポスの岩は、令和の日本では物価という別の岩と並走しているような気がして、それはちょっと景色として重い、なあ……。
リバウンドの何が困るかというと、単に体重が戻るだけじゃなく、体組成が悪い方向にシフトしやすいこと。減量中に筋肉が落ち、戻るときには脂肪が優先的に増える、というパターンがありうる。同じ体重でも、中身が変わってしまう。表面上は元に戻ったように見えて、実は内側で違う絵が描き直されている、というのは、ちょっと贋作の修復に失敗した古典絵画みたいな話で、谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』で語っていた、表の輝きより奥の陰翳のほうに本筋がある、という美学の話を、医療の文脈で借りてきたい気持ちにもなる……いや、リバウンドの話から谷崎まで、比喩がちょっと遠出しすぎた(笑)。
糖尿病の食事管理の文脈でも、これは無視できなくて、短期で派手に痩せたあとに、「リバウンド」「筋肉量低下」「血糖コントロール悪化」と、三役そろい踏みみたいなことが起きる。ガイドラインで「短期間の炭水化物制限は有用」と書いてあっても、必ず「その後どう着地させるか」を一緒に考えるのがプロの仕事。着地まで責任を取らないダイエット指南は、たぶん地に足のついた指南じゃない。
体重計が拍手してくれた数ヶ月後、血糖値が無言で帳尻を合わせにくる。これは脅し文句じゃなくて、外来でわりと見る光景、なのです。
マンジャロとゼップバウンド、同じ薬なのに名前が違う件
そして避けて通れないのが、ここ最近の話題、GLP-1/GIP受容体作動薬の話なのだ。
マンジャロ®(一般名:チルゼパチド)と、ゼップバウンド®(同じくチルゼパチド)。同じ成分なのに、商品名が違う。なんで? ……答えは「適応症が違うから」。歌舞伎の世界では、一人の役者が「襲名」によって名跡を変え、まったく違う役柄を背負う。あれと似た仕組みが、製薬業界にもある。同じチルゼパチドが、糖尿病の舞台に立つときは「マンジャロ」、肥満症の舞台に立つときは「ゼップバウンド」。名跡が違うと、観客の見方も変わる。製薬会社のネーミング、ときどき哲学を感じる。
マンジャロ®は2型糖尿病の治療薬として承認されている薬。ゼップバウンド®は、同じチルゼパチドを成分とする肥満症治療薬で、2025年3月19日に薬価収載、同年4月11日に発売された。ただし保険診療での使用は「肥満であれば誰でも」というユルい話ではなく、BMI・合併症・施設要件など、添付文書および最適使用推進ガイドラインの条件を満たす場合に限られる。世の中、ちゃんとブレーキはついているのです。
さらに2026年4月24日、厚労省の薬事審議会・医薬品第一部会で、ゼップバウンド®の閉塞性睡眠時無呼吸症候群への効能追加(一部変更承認)が審議され、承認が了承されたと報じられている。OSAS、つまり「夜中に呼吸が止まる、あれ」にも保険で使える方向に進んでいる。守備範囲、広がってきたなあ……。
これに加えて、2026年に入ってからは「GLP-1/GIP製剤の注射間隔を週1から隔週へ延ばせるか」という減頻投与の検討(Wong et al. 2026, Obesity 誌のケースシリーズ。n=30のうちチルゼパチド使用21名・セマグルチド使用9名で、隔週投与でも体重・体組成・代謝指標が概ね維持された、という小規模報告)や、「効きやすい体質・効きにくい体質」を遺伝子・性別・体型で分析する個別差研究も次々に発表されていて、要するにこの薬は「全員に同じ用量で打って終わり」のフェーズから、「人によって細かくチューニングするフェーズ」に静かに入りつつある。アスピリンが解熱鎮痛から抗血小板へ、メトホルミンが糖尿病から長寿研究へ足を伸ばしていった、近代医療のいつものパターンの続編、みたいな景色である。ひとつの分子が、複数の病と複数の体質を撫でていく、というのは、中島敦『山月記』で李徴が虎になる場面の、人と獣の境界が溶けるあの不気味な多義性を、少しだけ連想させる。違うか。違うかもしれない。でも、外来で同じ薬を、糖尿病の患者さんに処方しながら、肥満症の患者さんにも別商品名で処方する日が来ると考えると、医療者としても、ふと境界がぼやけるのです。
ここでひとつ正直に書いておくと、僕の外来でも、糖尿病でマンジャロを使っている方はいらっしゃる。これは保険診療の話。一方で、保険適用の枠ではちょっとカバーしきれない、けれど将来のリスクを考えると放置もできない、という方には、自由診療でGLP-1の選択肢をお出しすることもある。当院は糖尿病保険診療を中心に運営している糖尿病クリニックで、自由診療のGLP-1もその延長として扱っている、というのが正直なところ。糖尿病専門医として、毎日の保険診療でこの薬を使い倒しているからこそ、自費で扱う場面でも同じ精度で診られる、というのが僕の中での筋なのです。
……はい、商売の話はここで終わり。本題に戻しましょうかね。
結局、別ゲーなのです
長々と書きましたが、ざっくり整理すると、こんな感じ。
ダイエットの食事管理は、「体重」というシングルメーターを下げるゲーム。短期決戦寄り、本人の意思とSNSのモチベが燃料。クリアしたら筐体から離れる。
糖尿病の食事管理は、「血糖」「体重」「合併症リスク」「筋肉量」「QOL」というマルチメーターを、何年もかけてバランス取るゲーム。本人の意思だけじゃなく、医療者・家族・社会との共同戦。エンディングは……たぶん、無い。プレイし続ける。
どっちが偉いとか、優れているとか、そういう話ではない。ただ、別ゲーなんだよ、ほんとうに。
「糖質制限で痩せた友達がいるから、糖尿病の私もやろう」というのは、ジャンルの違うゲームを同じコントローラーでプレイしようとしているような感じで、ハマるときもあれば、ハマらないときもある。だから、自己判断で完結させず、必ず主治医と相談しながら設計してほしい、というのが、僕が外来で一回は必ず口にする言葉なのだ。
もちろん、ダイエット側の方も、極端な制限や、ネットの「すぐ痩せる」系の広告に乗る前に、自分の体の前提条件(血糖、血圧、腎機能、薬、年齢、家族歴)を一度くらいは健診で確認してから走り出してくれ……いや、走り出す前に立ち止まってくれ、と。せめて靴紐は結んでくれ、と。
太宰治は『人間失格』を「恥の多い生涯を送って来ました」と書き出した。糖尿病外来でいちばん多くの方が口にする冒頭は、「先生、すみません、また食べちゃって」だ。恥の多い食生活を送って来ました、と言わせない外来こそ、僕がこっそり目指しているもので、それは医学書には書いていないけれど、たぶん本筋に近い気がしている。
医師として、患者として、生活者として、僕らはみんな「食事」という台の前に立っている。米が高くて、光熱費が上がって、SNSにはポジ研究とネガ研究が同じ日に並んで、AIの食事管理アプリが画面の中で点滅していて、そして体重計と血糖値はそれぞれの言語で別のことを言ってくる。台の前で、誰もが少しずつ落ち着かない。最新のガイドラインも、海外のRCTも、新薬の効能追加も、結局のところ、その「落ち着かなさ」を少しだけ和らげるためのコイン、なのかもしれない。考える葦は、揺れたっていい。揺れている葦に、コインを一枚そっと渡すのが、たぶん僕の仕事である。

そんなわけで、食事管理という台の前に立ったまま、僕はまだスタートボタンを押せずにいるのだ。
今夜の晩ごはん、何にしましょうかね……。
迷ったまま、終わる。

院長後記
第1回から少し詰め込みすぎた気もしますが、「食事管理は別ゲーである」という一点だけ伝われば、まずは合格点だと思っています。ガイドラインの章で「中庸」と書いたあと、自分の文章が中庸からほど遠いことに気づいてひとり苦笑しました(パスカルから歌舞伎まで、おまけに令和の米騒動まで持ち出して、いったいなんの原稿だ、というツッコミは、後記の冒頭でセルフ受信しておきます)。次回は、コンビニのおにぎり棚で迷う筆者がどんな朝食を選んだのか、もう少し具体的な話まで踏み込みたいところ。……たぶん、結局またサラダチキンなんだろうけど。