第3回|テストステロンと、月曜朝の会議室。

アイキャッチ:テストステロンと、月曜朝の会議室

執筆: 小林 正敬(こばやし まさたか) — まさぼ内科・糖尿病クリニック飯田橋院 代表理事。糖尿病専門医・総合内科専門医。


俺の仕事のキレが落ちたのは、AIのせいじゃなかった。

アイキャッチ:テストステロンと、月曜朝の会議室

朝の予約欄に、こういう一行があった。「妻から『最近、家でも全然喋らないし、覇気がないわよ』と言われて、自分でも気になって、来ました」── 50代男性、初診。

カルテをめくる前から、たぶん何の話かは想像がつく。家族の証言というのは、この領域ではかなり大事な手がかりになる。本人は「俺は今でもバリバリだ」と思い込んでいて、家族のほうがホルモンの曲がり角に先に気づいている、ということが珍しくない。これはもう、何度見たかわからない光景で、まあ僕も、人のことを言える立場ではない。

そういえば僕も、ここ数ヶ月、新人スタッフへの業務説明をするときに、なんとなく「あ、これ、ちょっと面倒だな」と思ってしまう瞬間が増えた。前は、なんなら新人を捕まえて喋り倒すくらいだったのに。気合いか? 集中力か? はたまた性格か? ── 違う、ホルモンかもしれない、と、医者なら最初に疑うべき列の一番上に書いておくべき選択肢が、自分のこととなると、なぜか最後に出てくる。

医者あるあるである。今日は、この種のあるあるをひとつ、診療側からじっくり書いてみたい。

「気合い」と書いて、「ホルモン」と読むことがある

働き盛り男性が「最近、調子が悪くて」と言うとき、世間も本人も、まずは「気合いが足りない」と訳す。家族会議でもそう訳されるし、上司面談でもそう訳される。本人は「いや、もう若い時のような無理は効かないんで」と、しんみり呟いて、その場で話を畳む。

ところが内科の外来で同じ症状を聞くと、「ホルモンが足りない」が翻訳の選択肢に入ってくる。同じ言語の同じ文章が、訳す人によって全然違う意味になる、というあたりが、医学のおそろしさで、僕は外来でだいぶ毒気を抜かれて生きている。

正式な病名は「LOH 症候群」── 加齢男性性腺機能低下症(Late-Onset Hypogonadism)。テストステロン、つまり男性ホルモンが加齢とともに下がっていく状態を、便宜的にひとくくりにした症候群である。中高年就労中男性の約10%にあたる、という報告もある(日本メンズヘルス医学会の解説)。10人に1人。会社の役員会議室を見渡すと、たぶん1〜2人は当事者で、ご本人は気づいていない、というのが現実値。

症状は地味で、地味なゆえに見過ごされる。集中力の低下、やる気の不足、不眠、イライラ、性欲の低下、勃起の問題、筋力の低下、なんとなくの抑うつ── ぜんぶ揃って一斉に来るわけではなく、ばらばらに、しかも本人が「これは加齢のせい」「忙しさのせい」「会社のせい」「妻のせい」と、外側に理由を分散して気づきにくい設計になっている。これは生物としてやや不親切な、と思わなくもない。

川端の信吾、あるいは「気づくのに時間がかかる」という話

少し文学の話を借りたい。

川端康成の『山の音』(1949年連載開始の長編)の主人公は、尾形信吾、62歳。終戦直後の鎌倉、息子夫婦と暮らす老紳士で、深夜、ふと聞こえてくる「山の音」を、自分の死の予告として恐れている。

川端が信吾を描くときの繊細さは、徹底的に身体側から書いていくところで、物忘れが多くなった、友人の訃報を続けて聞いた、夜中に妻のいびきを止めるために手を伸ばす、というような、内臓と感覚の小さな揺らぎを、ひとつずつ拾っていく描き方をする。

川端の信吾は「気づく」のである。気づいてしまう、と言ったほうがいい。たぶん信吾のテストステロンも下がっていたのだろうけれど、信吾の偉さは、その下がっていく感覚を否認せず、ただ静かに眺めていたところにある。

LOH 症候群の厄介さは、たいてい逆で、気づかないまま下がっていく

カズオ・イシグロの『日の名残り』(1989年、ブッカー賞)の主人公スティーブンスは、英国の屋敷で執事として生涯を捧げた男だけれども、自分の感情を「品格(dignity)」というフィルターで延々と編集し続けた結果、自分が何を感じてきたかわからなくなって、定年の旅に出る、という構造の小説だった。スティーブンスのように、僕らも「忙しさ」「責任感」「気合い」というフィルターで身体を編集しているうちに、いつのまにか自分のホルモン値がどこにあるのか、わからなくなっている、ということが起きうる。

── と、文豪の名前ばかり並べてしまった気がして、少し気恥ずかしい。地に足のついた話に戻したい。

LOH 症候群、というかなり地味な落とし穴

地に足のついた話に戻る。

診断はわりとシンプルで、血液検査でテストステロンを測る。日本の診療の手引き(2022年改訂、日本泌尿器科学会/日本Men’s Health医学会)では、

  • 総テストステロン値 < 250 ng/dL が主診断
  • 遊離テストステロン値 < 7.5 pg/mL が補助診断

を目安としている(古い手引きには「11.8 pg/mL あたりがボーダーライン」という記載もあったが、現行基準とは分けて読むのが正確)。

これに、AMS(Aging Male Symptom)という17項目の問診票を組み合わせる。「最近、無気力ですか」「夜中に何度も目が覚めますか」「夕方、急に集中力が落ちますか」みたいな、いっけん「働き盛り男性なら全員そう」と答えたくなる質問が並んでいて、合計50点以上で重症とされる。

困ったことに、AMS の項目は、世のホワイトカラー働き盛り男性が「これは仕事のせいでしょ」と片付けがちな症状と全面的に重なっている。残業が多いから疲れている、案件が重いから集中できない、上が無能だからイライラする── すべて事実かもしれないし、同時に、ホルモンが下がっているサインかもしれない。両方が真であることが、現代の働き盛り男性の人生では普通に起きる。

気合いが足りない」と「ホルモンが足りない」、もしかしたら、ほぼ同じ意味だったりする。

仕事のキレと、午前中という不思議な時間帯

ちょっと面白いデータを書いておく。

テストステロンの分泌には日内変動があり、夜明け前から午前中にかけてがピークで、午後にかけて下がっていく。つまり、内分泌学的に見ると、働き盛り男性は午前中のほうが体調・意欲の面で動きやすい、という説明はそれほど不自然ではない(個人差はもちろん大きい)。

経営層に「重要案件は午前中にやってください」と勧めるビジネス本は世にあふれているけれど、これは精神論ではなく内分泌学的にも筋が通っている話で、僕は外来で「重要なプレゼンや判断は朝のうちに」と勧めることがある。意外と素直に「言われてみれば、夕方の決断、ろくなのなかったな」と返ってくる方が多い。

夕方の会議室、空いた席と窓越しの夕日

ちなみに、最近のビジネス系メディアで、大谷翔平の食事管理が頻繁に取り上げられている。1日およそ4,500キロカロリーを7回に分割、1回あたりタンパク質を約60g、鶏むね肉とサーモンと卵を中心に、低脂質高タンパクで筋肉の材料を確実に積む、というやつ。あれを真似しはじめる働き盛りの経営者が、外来でも、ぼちぼち出てきた。「先週から鶏むねを毎日500g食べてます」「プロテイン3回入れてます」と。

方向としては悪くない。ただ、僕としては内心、「その前に、一度ご自身のホルモン状態を測ってからの方が、投資効率いいですよ」と言いたい瞬間が多々ある。トップアスリートの体に効くプロトコルが、毎晩のハイボールと深夜の Slack と睡眠5時間でできた40代の体に、同じように効くかというと、別の話だ。土台が違う。そして、その土台の傾きを教えてくれる数字のひとつが、テストステロンなのである。

つまらないけれど効く、地味な5つ

外来で「で、結局どうすればいいんですか」と聞かれる。答えは地味だが、地味なものほど効くというのが、医学の意地悪なところで、

  • 筋トレ(特に脚・背中・胸の大筋群)。大筋群を動かすとテストステロンが反応する。スクワットは医学的にもサプリメントである
  • タンパク質と亜鉛と、ビタミンD。亜鉛は牡蠣・牛赤身・大豆。ビタミンDは日光と魚と、サプリで補ってもよい
  • 睡眠時間 7〜8時間。テストステロンは夜間睡眠中に分泌される、削った日の翌朝のキレは、削った分だけ落ちる。前回コラム(AIが返してくれた時間の話)と接続するけれど、寝るのが代謝の長期投資としてはいちばん効くアセット、というのは、嘘ではない
  • ストレスマネジメント。コルチゾール(ストレスホルモン)が上がるとテストステロンは反対方向に落ちる、というシーソー構造があり、コルチゾールを下げる工夫は、テストステロンを考えるうえでも無視しにくい
  • 漢方の助け。補中益気湯・八味地黄丸など、東洋医学が働き盛り男性の倦怠のサポートに使う処方がいくつかある。証や症状によっては柴胡加竜骨牡蛎湯や抑肝散も併用する。内科外来でも漢方は普通に処方箋に並ぶ

ジムやサウナや高級サプリの前に、上の5つを一度真面目にやってみてほしい。「初期キャラの育成」が、たいていいちばん効く、というのは、前回も書いた通り。

数値、と一度向き合うこと

ここでひとつ、保険診療と自由診療の境目の話をしておく。

ご本人が「ちょっと心配だから」と思った場合、まず血液検査でテストステロン値を測るのが最初の一歩で、これは内科でも泌尿器科でも対応できる。当院は内分泌・代謝領域もカバーしているので、ご相談いただければ採血で測定可能。値が低ければ AMS スコアと合わせて評価し、状況によっては治療や経過観察を提案する流れになる。

治療では、エナント酸テストステロン注射剤が「男子性腺機能不全」等の病名で保険適用される一方、LOH症候群という診断名そのものはまだ保険収載されていないため、実際の運用は、適応病名と病態に応じて判断する形になる。用法は125〜250mgを2〜4週間ごとに筋注、というのが手引きに書かれている運用。ジェル剤は自費になる。当院でやるかどうか、どう運用するかは、状況によりけり、というのが正直なところ。

ここまで。続きは、もし気になれば外来で。

キレ、というやつの正体

長くなった。整理する。

働き盛り男性の「仕事のキレが落ちた」を、精神論で片付ける時代は、たぶんもう終わっている。AI が業務を巻き取り、長時間労働も縮みつつあり、それでもキレが戻らない人がいる。理由のひとつが、ホルモンだったりする。

これは別に、「ホルモンのせい」と言って自分を許す免罪符にする話ではない。むしろ逆で、ホルモンは、生活で動かせる。動かそうと思えば動く。動かさないと、下がっていく。

朝の予約欄に「妻に『覇気がない』と言われた」と書いてくる男は、まだ大丈夫だと思う。妻の声がまだ届いていて、それを面倒くさがらずに病院まで来た。下がっていることに「気づいている」というのは、もうそれだけで川端の信吾と同じ側、つまり、まだ自分の身体と関係を結び直せる側にいる。

気づかないまま、品格と業務に編集された自分の感情と気力と体力が、いつのまにか遠くに離れていって、定年の旅に出る頃に「あれ、何を感じてきたんだっけ」と立ち止まる、というイシグロ的な結末は、できれば、避けたい。

そんなわけで、今日もコーヒーを淹れ直し、午前中に重要な原稿を書き、新人スタッフへの説明をきちんとやろうと、自分に言い聞かせている。書いたら、ぼちぼち、自分のテストステロンも測ろうかな、と思う。医者のくせに、まだ測ってない。他人の代謝は管理できるが、自分の数値はサボる、というのは、医療界の永遠のあるあるである。

今夜は、たぶん、スクワット20回くらいは、する。

たぶん。

朝のクリニックの廊下を歩く、新しい一日

4コマ漫画:お、テストステロン低めですね → あ、いや、僕は、まだ… → 明日の午前… 空いてる… → ……あとで、ぽちっと

院長後記

書いていて、自分の血液検査の予約をカレンダーに入れる行動には、まだ至っていません。中学生の作文かよ、と自分にツッコみつつ、次回までには採血の予約を入れる、と一応宣言だけしておきます。AMS スコアの17項目、興味のある方は一度静かに眺めてみてください。「いや、これ全部当てはまるけど、世の働き盛り男性はみんなそうでしょ?」と思った時点で、たぶん、一度、採血で確認してもよい合図、なのです。

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この記事を書いた人

まさぼ内科・糖尿病クリニック飯田橋院 代表理事 / 院長。日本糖尿病学会 糖尿病専門医/日本糖尿病協会 糖尿病認定医/日本内科学会 認定内科医・総合内科専門医/日本内科学会 認定医制度審議会 病歴要約評価委員/日本老年医学会 老年科専門医・指導医/日本抗加齢医学会 抗加齢専門医/日本消化器内視鏡学会 消化器内視鏡専門医/ICD制度協議会 インフェクションコントロールドクター。医籍登録番号 第486214号。国立国際医療研究センター国府台病院で内科研修を始めた後、糖尿病内科の道に進み、現在は最新の薬物療法(GLP-1作動薬・チルゼパチド等)と、栄養・運動・漢方を組み合わせた包括的な糖尿病・代謝診療を実践しています。

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