認知症予防×漢方|BPSD・MCI・糖尿病性認知症の対策を糖尿病専門医が完全解説

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「最近、母が同じことを何度も聞くようになった」「父が夕方になると落ち着かず、家族に怒鳴る」「健診で軽度認知障害(MCI)と言われたが、今からできることはあるか」——超高齢社会の日本で、認知症は誰の家庭にも訪れる切実なテーマです。2025年時点で65歳以上の認知症有病者は約700万人、MCI(軽度認知障害)を合わせると1,300万人。さらに糖尿病患者はアルツハイマー型認知症の発症リスクが約1.5倍、血管性認知症リスクが約2.5倍に上昇することが、久山町研究をはじめとする日本のコホート研究で繰り返し示されてきました。本ガイドでは、糖尿病専門医として認知症リスクを抱える患者さんを長期に診てきた立場から、MCI段階での漢方介入BPSD(行動・心理症状)への抑肝散の国際的エビデンス糖尿病性認知症への複合戦略を体系的に解説します。

認知症診療の主役は、依然として診断(MRI・MMSE・MoCA・血中アミロイドβ)と非薬物療法、そしてドネペジル・メマンチン・レカネマブといった抗認知症薬です。漢方はこれらを置き換えるものではありません。しかし抑肝散はBPSDに対しCochraneレビューに収載され、抗精神病薬の代替として国内外で評価が確立した稀有な日本発処方であり、釣藤散は脳血管性の慢性頭痛・めまい・認知機能低下に対するRCTを持ち、八味地黄丸はMCI段階の認知機能改善を示唆するエビデンスがあります。「漢方は気休め」という時代はすでに終わりました。

目次

認知症と糖尿病の関連 — なぜ糖尿病専門医が認知症を語るのか

認知症と糖尿病は、かつては別領域の疾患と考えられてきました。しかし2000年代以降の大規模疫学研究により、両者は共通の血管・代謝病態を共有する連続スペクトラムとして理解されるようになりました。

糖尿病が認知症リスクを上げる3つの機序

糖尿病が認知症発症リスクを上昇させる経路は、大きく3つに整理できます。

  • 慢性高血糖による脳神経毒性:糖化最終産物(AGEs)の蓄積、酸化ストレス、ミトコンドリア機能低下が海馬を中心に神経細胞を障害する
  • 脳微小血管障害(small vessel disease):HbA1c高値・血圧変動・脂質異常が脳深部の細動脈を硬化させ、白質病変・ラクナ梗塞を引き起こし血管性認知症の基盤となる
  • 脳インスリン抵抗性:アルツハイマー病は「3型糖尿病」とも呼ばれ、脳でのインスリンシグナル障害がアミロイドβ凝集とタウタンパク異常リン酸化を促進する

福岡県久山町の住民を1961年から追跡している久山町研究では、糖尿病群はアルツハイマー型認知症の発症ハザード比が1.81、血管性認知症が2.49(年齢・性別調整後)と報告されており、日本人エビデンスとして広く引用されています。

「糖尿病性認知症」という臨床像

近年、糖尿病性認知症(diabetes-related dementia)という概念が提唱されています。これはアルツハイマー型でも純粋な血管性でもなく、両者の特徴が混在した型で、次のような臨床像を取ります。

  • 注意・実行機能の低下が記憶障害より先行
  • 低血糖を契機に急激に認知機能が悪化(一過性〜遷延性)
  • 抑うつ・無気力・意欲低下が前景に立つ
  • 血糖変動(特に低血糖と食後高血糖)が認知機能の日内変動を生む

糖尿病外来で「服薬アドヒアランスが急に落ちた」「インスリン手技を忘れる」「同じ質問を繰り返す」と気づいた時点で、すでにMCI〜軽度認知症が併存しているケースは珍しくありません。糖尿病専門医にとって、認知症は「他科の問題」ではなく自分の患者の予後を左右する併存症です。

低血糖と認知症の双方向リスク

重症低血糖は、それ自体が認知症発症リスクを高めます。ACCORD-MIND試験などの大規模試験では、重症低血糖を起こした糖尿病患者は認知症発症リスクが約2倍に上昇する一方、認知症のある患者は低血糖を起こしやすいという双方向の悪循環が示されました。HbA1c 6.0%未満の厳格管理が高齢糖尿病患者で必ずしも望ましくない根拠のひとつです。日本糖尿病学会『高齢者糖尿病診療ガイドライン2023』では、認知症併存高齢者のHbA1c目標を7.5〜8.5%と緩和する個別化推奨が明記されています。

MCI段階で使う漢方 — 「予防」が現実的な目標になる時間軸

MCI(軽度認知障害)は、認知症の前段階です。MMSEは正常〜軽度低下、日常生活は概ね自立しているが、本人や家族が「以前より物忘れが目立つ」と自覚する状態です。MCIから認知症への年間移行率は約10〜15%、5年で約半数が認知症に進行する一方で、10〜30%は正常認知機能に回復することも知られています。介入の余地が最も大きいフェーズが、このMCIです。

MCI段階で漢方を選択する目的は、「認知症を治す」ことではなく、不安・不眠・抑うつ・易怒・冷え・浮腫・全身倦怠といった非特異的な前駆症状を整え、生活習慣改善と血糖コントロールを継続できる土台を作ることです。漢方医学の「未病を治す」という発想が、現代医学のMCI概念と最も親和的に重なるのがこの段階です。

抑肝散・抑肝散加陳皮半夏 — MCIの易怒・不眠・神経過敏に

抑肝散(ツムラ54番)は、本来小児の「疳の虫」に用いられた処方ですが、21世紀に入って認知症BPSDへのエビデンスベース漢方として国際的に再評価されました。MCI段階では、まだBPSDと呼ぶほどではないが、家族から見て「以前より怒りっぽい」「夜中に起きてうろうろする」「些細なことで興奮する」といった神経過敏症状に有効です。

  • 適応となる証:中間〜やや虚証、左腹直筋緊張、神経過敏、易怒、不眠
  • 用量:ツムラ54番 7.5g/日 分2〜3 食前
  • 有効性判定:4〜8週で家族が「最近落ち着いた」と気づく

抑肝散加陳皮半夏(ツムラ83番)は、抑肝散に陳皮・半夏を加えた処方で、胃腸虚弱・食欲不振を伴う高齢者に第一選択となります。MCI高齢者は脾胃虚弱を伴うことが多く、実臨床では83番のほうが使用頻度が高い傾向です。

釣藤散 — 慢性頭痛・めまい・血管性MCIに

釣藤散(ツムラ47番)は、明代『普済本事方』を起源とし、釣藤鈎・石膏・菊花・人参など11種類の生薬で構成されます。朝方の頭痛、ふらつき、めまい、肩こり、不眠、軽度の認知機能低下を訴える中高年〜高齢者に用いられます。

釣藤散は本態性高血圧症および血管性認知障害に対するRCTが複数あり、東洋医学雑誌・Journal of Traditional Medicines等に掲載されています。脳血流改善・抗酸化・グルタミン酸毒性抑制といった作用機序が報告され、血管性MCIや脳小血管病による軽度認知機能低下に対する第一選択漢方のひとつです。

  • 適応となる証:中間証〜やや実証、慢性頭痛、めまい、肩こり、起床時の頭重感
  • 用量:ツムラ47番 7.5g/日 分2〜3 食前
  • 併用相性:降圧薬・抗血小板薬と併用可。血圧コントロール下で長期使用

八味地黄丸 — 「腎虚」としてのMCIへの根本治療

漢方医学では、加齢による認知機能低下・足腰の衰え・夜間頻尿・性機能低下を「腎虚(じんきょ)」として統一的に捉えます。腎は脳髄を主る臓器であり、腎虚は脳髄の不足——すなわち認知機能低下——として現れる、という古典的な発想です。

八味地黄丸(ツムラ7番)は、地黄・山茱萸・山薬・茯苓・牡丹皮・沢瀉・桂皮・附子の8生薬で構成され、「腎陽虚——下半身の冷え・夜間頻尿・腰痛・全身倦怠・記憶力低下を伴う高齢者——に用いられます。

八味地黄丸については、軽度〜中等度アルツハイマー型認知症患者を対象としたRCTで、MMSE・行動評価指標の改善傾向が報告されています(規模は小〜中、エビデンスレベルはB〜C)。MCI段階で「腎虚」の徴候を伴う高齢者に長期投与する戦略は、エビデンスと古典臨床の両面から支持されます。

  • 適応となる証:虚証、下半身の冷え、夜間頻尿、腰痛、足腰の衰え、口渇
  • 用量:ツムラ7番 7.5g/日 分2〜3 食前
  • 注意:胃腸虚弱者には附子・地黄が負担。下痢・食欲不振がある場合は牛車腎気丸へ変更

補中益気湯 — フレイル合併MCIの底上げ

MCIとフレイル(虚弱)は高頻度に併存します。サルコペニア(筋肉量・筋力低下)、低栄養、易疲労、活動量低下が認知機能低下と相互に増悪し合う「フレイル=認知機能低下スパイラル」は、高齢糖尿病外来の典型像です。

補中益気湯(ツムラ41番)は、人参・黄耆を中心とした気虚——倦怠感・食欲不振・体力低下・易疲労——への代表処方で、フレイル合併MCIで食欲・活動量・QOLの底上げを狙う際の第一選択です。

  • 適応となる証:虚証、気虚、倦怠感、食欲不振、低体重、易感冒
  • 用量:ツムラ41番 7.5g/日 分2〜3 食前
  • 併用相性:栄養介入・運動療法と併用しサルコペニア対策の中核に

加味帰脾湯 — 不安抑うつ合併MCIに

MCI患者の30〜50%に抑うつ・不安症状が併存します。「物忘れがひどくなって、家族に迷惑をかけているのではないか」「将来が不安で眠れない」という心理的負荷が、認知機能をさらに悪化させる悪循環を生みます。

加味帰脾湯(ツムラ137番)は、帰脾湯に柴胡・山梔子を加えた処方で、「心脾両虚+肝鬱」——気力低下・不眠・不安・抑うつが混在する高齢者——に用います。SSRI・SNRIと併用可能で、抗うつ薬を始めるほどではないが軽度のうつ・不安を抱えるMCI高齢者に適応します。

  • 適応となる証:虚証、心脾両虚、不安、抑うつ、不眠、健忘
  • 用量:ツムラ137番 7.5g/日 分2〜3 食前
  • 併用相性:SSRI・SNRIと併用可。重症うつは精神科紹介が原則

BPSD(行動・心理症状)対策 — 抗精神病薬を減らす漢方戦略

認知症が進行すると、記憶障害・実行機能障害(中核症状)に加え、BPSD(Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia:行動・心理症状)が出現します。BPSDは介護負担と施設入所の最大の要因であり、易怒・興奮・徘徊・暴言・不安・幻覚・妄想・不眠など多彩な症状を含みます。

従来は抗精神病薬(リスペリドン・オランザピン・クエチアピン等)が用いられてきましたが、これらは転倒・脳血管イベント・誤嚥性肺炎・死亡率上昇のリスクを持ちます(FDAブラックボックス警告)。日本神経学会『認知症疾患診療ガイドライン2017』では、BPSDに対する抗精神病薬は慎重投与とし、抑肝散などの漢方を含む非薬物・代替戦略を優先することが推奨されています。

易怒・興奮 — 抑肝散・抑肝散加陳皮半夏

BPSDの中核症状である易怒・興奮・暴言・暴力に対し、抑肝散は最もエビデンスが蓄積された漢方です。2005年の日本発RCT(Iwasaki et al., J Clin Psychiatry)を皮切りに、複数のランダム化比較試験で抑肝散がNPI(Neuropsychiatric Inventory)スコアを有意に改善することが報告されました。

胃腸虚弱・食欲不振を伴う高齢者には抑肝散加陳皮半夏(83番)が第一選択。介護施設での実臨床では、抗精神病薬の頓用が減り、夜間徘徊・暴言が落ち着くケースが多数報告されています。

不安 — 加味帰脾湯・甘麦大棗湯

BPSDの「不安」は、夕暮れ症候群・分離不安・パニック様症状として現れます。加味帰脾湯(137番)は心脾両虚+肝鬱の不安に、甘麦大棗湯(ツムラ72番)は神経の昂ぶりが強く泣き出す・激しい不安・ヒステリー様症状に用います。

甘麦大棗湯は甘草・小麦・大棗のわずか3生薬の処方で、古典『金匱要略』の「臓躁」——理由なく悲しんで泣く女性のヒステリー様症状——に用いられた処方です。認知症の夕暮れ時の理由なき泣き・興奮・不安に対し、抑肝散と併用または交替で使用します。

不眠 — 加味帰脾湯・酸棗仁湯

認知症患者の不眠は、概日リズム障害・夜間覚醒・日中傾眠の悪循環として現れます。ベンゾジアゼピン系睡眠薬は転倒・せん妄リスクが高く、漢方による代替が望ましい領域です。

  • 加味帰脾湯(137番):気力低下・不安・抑うつを伴う不眠
  • 酸棗仁湯(ツムラ103番):心血虚・虚煩による入眠困難・中途覚醒。心配ごとで眠れないタイプ
  • 抑肝散(54番):神経過敏・易怒に伴う不眠。BPSD全般を伴う場合の第一選択

酸棗仁湯は『金匱要略』由来の古方で、酸棗仁・川芎・茯苓・知母・甘草の5生薬。眠剤を減らしたい高齢者の中途覚醒・浅眠に長期投与が可能で、依存性・耐性の心配がありません。

幻覚妄想 — 抑肝散

BPSDの幻覚(特に幻視・幻聴)・妄想(被害妄想・物盗られ妄想)は、家族関係を破綻させる深刻な症状です。レビー小体型認知症では幻視が主症状ですが、アルツハイマー型でも進行期に出現します。

抑肝散は、レビー小体型認知症の幻視・パーキンソン様症状・REM睡眠行動障害に対するRCTが報告されており、抗精神病薬が使いにくいレビー小体型のBPSDで第一選択となります。レビー小体型は抗精神病薬への過敏性(神経遮断薬悪性症候群様反応)があるため、漢方の役割が特に大きい疾患です。

科学的エビデンス — 抑肝散・釣藤散・八味地黄丸の国際的位置づけ

漢方は「気休め」ではないか、という疑問は今も根強くあります。本節では、PubMed・Cochrane Library・国内RCTから、認知症領域で漢方が獲得しているエビデンスの現在地を整理します。

抑肝散BPSD Cochraneレビュー

Cochrane Database of Systematic Reviewsに2014年(Matsuda et al.)と2021年に抑肝散のBPSDへの効果を検証したシステマティックレビューが掲載されました。複数のRCTを統合した結果、抑肝散はBPSD全般のNPIスコア改善に対し、プラセボと比較して中等度の効果量を示し、安全性プロファイルも良好と結論されました。

日本発漢方処方がCochraneレビューに収載されること自体が極めて稀で、抑肝散は世界で「Yokukansan」として通用する数少ない漢方ブランドです。日本神経学会『認知症疾患診療ガイドライン2017』、日本老年医学会『高齢者の安全な薬物療法ガイドライン2015』のいずれも、BPSDに対する抑肝散を推奨しています。

釣藤散RCT — 血管性認知症と慢性頭痛

釣藤散は、本態性高血圧症および血管性認知障害に対するRCTが国内で複数実施されています。1994年のTerasawaらの多施設RCTでは、慢性脳循環不全・血管性認知障害の自覚症状(頭痛・めまい・肩こり・不眠)と認知機能スコアの改善が示されました。脳血流SPECT・近赤外分光法(NIRS)による脳血流改善も報告されています。

新規RCTの数は抑肝散ほど多くありませんが、慢性頭痛・血圧高めの中高年〜高齢者MCIに対する第一選択漢方としての地位は確立しています。

八味地黄丸・牛車腎気丸の認知機能エビデンス

八味地黄丸については、軽度〜中等度アルツハイマー型認知症患者を対象とした小規模RCTで、MMSE・ADL・行動評価の改善傾向が報告されています(Iwasaki et al., 2004; その他)。エビデンスレベルは抑肝散より低い(B〜C)ものの、「腎虚」を伴う高齢者MCIへの長期投与は古典・現代両面から支持されます。

PubMed検索の現状(2026年時点)

PubMedで “Yokukansan AND dementia” を検索すると200件超の論文がヒットし、その大半が日本発のRCT・観察研究・基礎研究です。”Choto-san” “Hachimijiogan” も同様にヒット数を伸ばしており、日本の漢方は国際的なエビデンスベース医療の一翼として認知されつつあります。

併存疾患を考慮した処方選択 — 糖尿病・サルコペニア・腎機能

高齢者の認知症は、糖尿病・心不全・慢性腎臓病(CKD)・サルコペニア・誤嚥性肺炎リスクを伴うことがほとんどです。漢方処方は、これら併存疾患を踏まえて選択する必要があります。

糖尿病併存例 — 八味地黄丸の二重適応

糖尿病と認知症が併存する患者に、八味地黄丸または牛車腎気丸は二重の意義を持ちます。古典では消渇(しょうかち:糖尿病様の口渇・多飲・多尿)への代表処方であり、糖尿病性神経障害(しびれ・冷え)・夜間頻尿・足腰の衰え・MCIを一処方で同時にカバーできます。HbA1c目標を緩和した高齢糖尿病患者の長期処方として、最も合理的な選択肢のひとつです。

サルコペニア併存例 — 補中益気湯+人参養栄湯

体重減少・筋力低下・低栄養が顕著な認知症高齢者には、補中益気湯(41番)または人参養栄湯(ツムラ108番)を選択します。人参養栄湯は補中益気湯に養血・安神作用を加えた処方で、サルコペニア+認知機能低下+呼吸器虚弱を併せ持つ高齢者に適応し、近年フレイル領域でエビデンスが蓄積されています。

腎機能低下例 — 甘草・地黄の調整

CKDステージG3b以上(eGFR < 45)の患者では、甘草を含む処方は低カリウム血症リスクが上昇します。抑肝散・甘麦大棗湯・補中益気湯はいずれも甘草を含むため、長期投与時はカリウム値モニタリングが必須です。地黄は胃腸虚弱・下痢を惹起するため、CKD+食欲不振例では八味地黄丸→牛車腎気丸→人参養栄湯と段階的に切り替える戦略が現実的です。

抗認知症薬・抗精神病薬との併用

漢方はドネペジル・ガランタミン・リバスチグミン・メマンチンと問題なく併用できます。レカネマブ等の抗アミロイド抗体薬とも理論的併用禁忌はありません。抗精神病薬を減量するためのブリッジ処方として抑肝散を用い、徐々に抗精神病薬を漸減する戦略は、転倒・誤嚥リスクを下げる上で大きな意味を持ちます。

副作用と注意点 — 甘草・低カリウム血症・心不全

漢方は副作用が少ない、というのは半分正解で半分誤解です。高齢者に長期投与する場合、特に注意すべきは甘草による偽アルドステロン症地黄・附子による消化器症状です。

偽アルドステロン症(甘草)

甘草に含まれるグリチルリチンは、長期高用量投与で偽アルドステロン症(低カリウム血症・高血圧・浮腫・ミオパチー)を引き起こします。1日2.5g以上の甘草摂取で発症リスクが高まり、認知症高齢者は抑肝散・甘麦大棗湯・補中益気湯・加味帰脾湯といった甘草含有処方を複数併用するケースもあるため要注意です。

  • 定期検査:開始前・1か月後・以降3か月毎に血清カリウム・血圧・浮腫を確認
  • K低下時の対応:減量・休薬、KCl補充、必要時はスピロノラクトン併用
  • 甘草を含まない代替:釣藤散・八味地黄丸・酸棗仁湯(少量含有)への切り替え

心不全・浮腫の悪化

偽アルドステロン症は心不全・浮腫の増悪因子でもあります。心不全のある高齢者では、漢方開始後にBNP・体重・浮腫が悪化したら速やかに中止・再評価します。

地黄・附子の消化器副作用

八味地黄丸の地黄は胃腸虚弱者で食欲不振・下痢を惹起します。附子は微量でも動悸・のぼせ・舌しびれを起こすことがあり、特にAfがある高齢者は注意。胃腸症状が出た場合は六君子湯併用または人参養栄湯への変更で対応します。

間質性肺炎・肝障害

漢方全般で稀に間質性肺炎・薬剤性肝障害が報告されています。発熱・咳・呼吸苦・倦怠感・黄疸が出現した場合は速やかに中止し、胸部CT・肝機能を確認します。

認知症予防のための生活習慣 — 漢方を支える非薬物戦略

漢方は強力なツールですが、認知症予防の主役はあくまで生活習慣です。Lancet委員会の2020年・2024年報告書では、認知症の約45%は修正可能な12のリスク因子で説明できるとされ、運動・食事・睡眠・聴力・社会参加・血圧管理が中核に挙げられています。

運動 — 有酸素+レジスタンスの併用

有酸素運動(週150分の中強度ウォーキング等)は海馬体積を増加させ、認知機能を改善することが複数のRCTで示されています。レジスタンス運動はサルコペニア予防と認知機能の両面で有効。週3回・1回30分のウォーキング+週2回の自重スクワット・腕立てを継続できると理想的です。

食事 — 地中海食・MIND食

地中海食(オリーブオイル・魚介・野菜・豆類・全粒穀物中心)と、地中海食をベースにベリー類と葉物野菜を強化したMIND食は、認知症発症リスクを30〜50%低下させることが報告されています。日本人なら魚・大豆・緑黄色野菜・海藻・玄米を中心とした和食ベースで十分代用可能です。

睡眠 — 7時間前後の質の良い睡眠

睡眠中に脳のグリンパティックシステムがアミロイドβを除去します。7時間前後の睡眠+睡眠時無呼吸症候群(SAS)の治療は認知症予防の柱。MCI高齢者にCPAPを導入したら認知機能が改善した、という症例は外来で頻繁に経験します。

血糖管理 — 厳格すぎず緩すぎず

糖尿病併存高齢者のHbA1c目標は7.5〜8.5%(認知症併存・重症低血糖既往例)が日本糖尿病学会推奨。低血糖を起こさないSGLT2阻害薬・GLP-1受容体作動薬・DPP-4阻害薬を中心に組み立てます。持続血糖モニタリング(CGM)で血糖変動を可視化し、低血糖を回避する戦略が認知症予防に直結します。

聴力・社会参加

難聴は認知症リスクを1.9倍に上昇させる最大の修正可能因子の一つ。補聴器導入で発症リスクが下がるエビデンスがあります。家族・地域・趣味の集まりへの参加は、デフォルトモードネットワークを刺激し認知予備能を維持します。

当院でできること — 神経科専門医との連携

まさぼ内科クリニックでは、糖尿病専門医として認知症リスクを抱える患者さんに対し、次のアプローチを提供しています。

  • 認知機能スクリーニング:MMSE・MoCA・改訂長谷川式(HDS-R)による定期評価
  • 糖尿病管理の最適化:低血糖回避を最優先したHbA1c個別目標、CGM活用、SGLT2阻害薬・GLP-1の活用
  • 漢方併用:MCI段階での抑肝散・釣藤散・八味地黄丸の処方とモニタリング
  • 生活習慣指導:運動・食事・睡眠・SAS評価・補聴器紹介
  • 専門医連携:認知症疾患医療センター・神経内科・もの忘れ外来へのスムーズな紹介

診断確定(MRI・SPECT・髄液バイオマーカー・血中アミロイドβ)と抗認知症薬の導入は専門医に委ねつつ、糖尿病・併存症マネジメント・漢方併用・生活習慣介入を当院が担う、という役割分担で患者さんとご家族を長期に支えます。

FAQ — 認知症予防と漢方

Q1. 抑肝散は認知症を治す薬ですか?

A. 抑肝散は認知症の中核症状(記憶・実行機能)を治す薬ではありません。BPSD(易怒・興奮・幻覚・不眠)を改善する薬で、抗認知症薬(ドネペジル等)と併用します。中核症状の進行抑制は抗認知症薬・生活習慣・抗アミロイド抗体薬の役割です。

Q2. MCIと言われましたが、漢方だけで認知症を防げますか?

A. 漢方単独で防ぐことは推奨できません。MCIから認知症への進行を抑える主役は運動・食事・睡眠・血糖血圧管理・難聴対策です。漢方は易怒・不眠・不安・冷え・浮腫といった付随症状を整え、生活習慣改善を継続できる土台を作る役割です。

Q3. 抑肝散は何か月続ければ効果が出ますか?

A. BPSDに対しては2〜4週で家族が変化に気づき、4〜8週で評価が安定します。8〜12週投与しても明らかな改善がなければ処方変更を検討します。長期投与時は3か月毎に血清カリウム・血圧をチェックします。

Q4. 糖尿病で薬をたくさん飲んでいますが、漢方を追加しても大丈夫ですか?

A. 抗認知症薬・抗精神病薬・SSRI・降圧薬・抗血小板薬・経口糖尿病薬・インスリン・GLP-1のいずれとも、漢方は基本的に併用可能です。ただし甘草含有処方を3種以上重ねると低カリウム血症リスクが上がるため、処方の整理は必要です。お薬手帳を持参してご相談ください。

Q5. 家族が認知症で、抗精神病薬の副作用が心配です。漢方に切り替えられますか?

A. リスペリドン等の抗精神病薬を抑肝散にブリッジ移行する戦略は、転倒・誤嚥・脳血管イベントリスク低減の観点から望ましい場合が多いです。ただし重度の興奮・暴力で本人・家族の安全が脅かされる急性期は抗精神病薬が必要です。漸減のタイミングと安全性は主治医・専門医とご相談ください。

処方を検討する方へ

認知症予防・MCI・BPSDへの漢方は、診断確定と非薬物介入を前提とした上で、症状プロファイルと体質に応じて選択します。当院では、糖尿病外来の延長として認知機能を評価し、必要に応じて漢方併用と専門医紹介を組み合わせる長期戦略をご提案します。

  • 「最近物忘れが増えた」と感じる方
  • 家族から「以前と違う」と指摘された方
  • 糖尿病で長期通院中で、認知症リスクが気になる方
  • 家族の認知症BPSDで抗精神病薬の副作用に悩んでいる方
  • 抗精神病薬を減らして漢方併用に切り替えたい方

いずれの方も、お気軽にご相談ください。漢方単独の処方ではなく、糖尿病・血圧・脂質・睡眠・運動・栄養を含めた包括的な認知症予防プランをご提案します。

まとめ

認知症は超高齢社会の日本にとって最大の医療課題のひとつであり、糖尿病はその発症リスクを1.5〜2.5倍に高める強力な修正可能因子です。漢方は認知症の中核症状を治す薬ではありませんが、抑肝散はBPSDに対しCochraneレビューに収載される国際的エビデンスを獲得し、釣藤散は血管性MCI・慢性頭痛、八味地黄丸は腎虚を伴う高齢者MCI、補中益気湯はフレイル合併、加味帰脾湯は不安抑うつ合併に、それぞれ役割を持ちます。

大切なのは、診断・抗認知症薬・生活習慣介入・漢方・専門医連携を「どれか一つ」ではなく「すべて合わせて」運用することです。糖尿病専門医は、HbA1cを下げるだけが仕事ではなく、患者さんが認知症になっても安全に過ごせる土台を作るところまでを担う、というのが本院のスタンスです。家族とともに長期に伴走できる漢方併用診療を、ぜひご活用ください。

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本記事の信頼性について

監修・執筆体制

本記事は、まさぼ内科クリニック飯田橋院 院長・小林 正敬 医師(医籍登録番号 第486214号)の監修のもと、公開時点で確認可能な学会ガイドラインおよび査読論文に基づいて作成されています。監修医師は 日本糖尿病学会 糖尿病専門医日本内科学会 総合内科専門医日本老年医学会 老年科専門医・指導医 の資格を有し、糖尿病・代謝疾患・老年医学を専門とする臨床医として実務に従事しています。

利益相反(COI)の開示

本記事は、特定の医薬品・医療機関・企業からの広告料、紹介料、監修料の影響を受けず、独立した医学的判断のもと作成されています。治療法の選択は、必ず主治医の対面診察に基づき判断してください。本記事は一般的な医療情報の提供を目的とし、個別の診断・治療を代替するものではありません。

情報の鮮度と更新ポリシー

本記事は学会ガイドライン(日本糖尿病学会・日本東洋医学会等)、査読論文、厚生労働省公表データに基づき作成され、医学的内容の変化に応じて定期的な見直しを行います。公開日・最終更新日は本セクション直下の監修者バナーをご参照ください。
信頼性開示の最終確認日:2026-05-14

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監修医師:小林 正敬(こばやし まさたか)
日本糖尿病学会 糖尿病専門医・研修指導医 / 日本内科学会 総合内科専門医 / 日本老年医学会 老年科専門医・指導医 / 日本東洋医学会会員
医籍登録番号:第486214号
公開日:2026-05-10 / 最終更新日:2026-05-10

参考文献

  • 日本神経学会『認知症疾患診療ガイドライン2017』医学書院
  • 日本老年医学会『高齢者の安全な薬物療法ガイドライン2015』
  • 日本糖尿病学会『高齢者糖尿病診療ガイドライン2023』南江堂
  • 日本東洋医学会『漢方診療ガイドライン2023』
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  • 厚生労働省 e-ヘルスネット「認知症」
  • 厚生労働省『認知症施策推進大綱』2019
  • Cochrane Database of Systematic Reviews(Yokukansan, dementia 関連レビュー)
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この記事を書いた人

まさぼ内科・糖尿病クリニック飯田橋院 代表理事 / 院長。日本糖尿病学会 糖尿病専門医/日本糖尿病協会 糖尿病認定医/日本内科学会 認定内科医・総合内科専門医/日本内科学会 認定医制度審議会 病歴要約評価委員/日本老年医学会 老年科専門医・指導医/日本抗加齢医学会 抗加齢専門医/日本消化器内視鏡学会 消化器内視鏡専門医/ICD制度協議会 インフェクションコントロールドクター。医籍登録番号 第486214号。国立国際医療研究センター国府台病院で内科研修を始めた後、糖尿病内科の道に進み、現在は最新の薬物療法(GLP-1作動薬・チルゼパチド等)と、栄養・運動・漢方を組み合わせた包括的な糖尿病・代謝診療を実践しています。

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