第19回|ビールの棚から、値段の三段構えが消えた週に。
執筆: 小林 正敬(こばやし まさたか) — まさぼ内科・糖尿病クリニック飯田橋院 代表理事。糖尿病専門医・総合内科専門医。
安くなった一本目は、税制の話である。二本目からは、身体の話になる。

10月最初の土曜日、走り終えたその足でスーパーに寄ったら、酒売り場の前で足が止まった。棚の景色が、先週と違う。
ビールの棚というのは長いあいだ、上からビール、発泡酒、第3のビールという三段の雛壇だった。上の段ほど高く、下の段ほど安い。今夜なにを飲むかという相談を、家計の側から静かに引き取ってくれる、日本でいちばん正直な棚だったと思う。その三段の値段差が、今週、目に見えて縮んでいた。10月1日に酒税が一本化されて、ビールが値下げ、発泡酒と第3のビールが値上げ。棚のあちこちに「価格改定」の小さな札が挿さり、聞けば、見慣れた缶が「ビール」に衣替えした新装版も、これから順々に入ってくるらしい。二十年あまり続いた雛壇が、静かに撤去されている最中だった。
僕はといえば、買うものも決めずに、その棚の前でしばらく突っ立っていた。
──と、酒の一本も入っていないかごを提げたまま、売り場で棚の考古学を始めそうになった。いったん家に帰って、話を最初から並べ直す。今日は、この三段の雛壇が消えた顛末と、そのあとで僕らの身体のほうに起きることの話である。
酒税改正2026年10月——一本化で、ビールは値下げ、第3のビールは値上げになった
まず、今週何が起きたのかを整理しておく。
2026年10月1日、ビール系飲料の酒税が、350ml換算で54.25円に一本化された。財務省の資料にあるとおり、2017年度の税制改正で決まっていた三段階の最終ステップで、始まったのは2020年10月。つまり6年がかりの工事が、今週やっと竣工した格好になる。
工事前の姿を思い出しておくと、2020年の秋まで、350mlあたりの酒税はビールが約77円、第3のビールが約28円だった。差は49円。同じ「ビール味の炭酸」なのに、缶の中身の設計図しだいで税金が3倍近く違ったワケで、この段差こそが、あの三段の雛壇の正体だった。それが段階的に寄せられて、最後の一歩が今回である。ビールは63.35円から54.25円へ9.1円の減税。発泡酒は46.99円から、第3のビールは直近の46.99円から、そろって54.25円へ増税。おまけにチューハイなど(その他の発泡性酒類)は28円から35円へ、7円の引き上げになった。
メーカーの対応も春から出そろっていた。キリンは約180品目の価格を見直し、「一番搾り」など缶ビールを値下げする一方、「淡麗グリーンラベル」や「氷結」を値上げすると発表している。安いから選ばれてきた缶が上がり、うまいから選ばれてきた缶が下がる。棚の論理が、今週を境にひっくり返ったのだ。
第3のビールは「なくなる」のか——半分は本当で、半分は違う

検索窓に「第三のビール」と打つと、「なくなる」という言葉が続いて出てくる。外来の雑談でも聞かれた。あれ、なくなっちゃうんですか、と。
答えは、半分は本当で、半分は違う。税率の一本化で「税金が安いから安く売れる」という第3のビールの存在理由は、たしかに消えた。ただ、缶そのものが棚から蒸発するわけではなくて、多くは「ビール」に移籍する。サントリーの金麦も、キリンの本麒麟も、この10月を境にビールへ移ると発表されているし、サッポロも「GOLD STAR」と「麦とホップ」を新ジャンルからビールへ品目変更し、缶は10月20日から全国発売すると告知している。ビールを名乗るには麦芽比率50%以上という戸籍上の要件があるので、中身の設計図を書き換えて、身分ごと引っ越すのである。
そもそも発泡酒も第3のビールも、麦芽の比率を落としたり、原料を麦以外に置き換えたりして、税率の低い区分に収まるように設計された、日本の台所事情が生んだ発明品だった。税制の隙間が製品を生み、税制の一本化が製品を畳む。財務省の資料は今回の改正の目的を「酒類間の税負担の公平性を回復する」ためと説明しているけれど、現場で起きているのは要するに、四半世紀ものあいだ税率の地形に合わせて進化してきた缶たちの、一斉の引っ越しなのだ。
だからこれは、戸籍と値札の話であって、味の話ではない。ましてや、身体の話ではまだない。身体の話は、もう少しあとで書く。
9月に買いだめた箱は、10月の家でどうなるか
ところで、施行前の駆け込みの話。
9月のあいだ、増税前に発泡酒や新ジャンル、チューハイを買っておくと負担を抑えられる、という記事がずいぶん出回った。律儀なことに、その多くには「ただし過度なまとめ買いは飲み過ぎにつながるので注意」と書き添えてある。マネー系のコラムが飲酒指導までしてくれる時代ですよ。内科医の商売あがったりだよなあ、と笑ってから、ふと真顔に戻る。この注意書き、冗談ではなく今回の改正のいちばん大事な脚注だと思う。
値上げと家計の話は、先月書いた(第14回・値上げは、財布より先に、皿の色を薄くする)。安いうちに買っておく、という判断そのものは、家計の算数としてまったく正しい。ただ、食品と酒には決定的な違いがひとつある。ケースで買った24本は、帳簿の上では在庫だけれど、冷蔵庫の高さから眺めると、あれは全部「次の一本」なのだ。安く手に入れた酒ほど、開ける手が軽くなる。在庫は、家の中では静かに誘惑と同義語になる。
偉そうに書いているが、僕の玄関にも炭酸水の箱が積んであって、箱買いした物の減りの速さについては人体実験済みである(汗)。中身がノンアルコールなだけで、手の軽さの構造は同じだ。
さて、ここからは白衣側の話をする。
税率ほどには、糖質もプリン体も変わらない
ビールと発泡酒と第3のビール。税法上は別人格でも、身体の側から見ると、この三つはほぼ同じ飲み物である。
違いの正体は麦芽の比率と原料——つまり税法上の住所であって、アルコール度数はどれも5%前後。糖質もプリン体も、銘柄ごとの多い少ないはあるにせよ、かつての税率のような「28円と77円」ほどの開きは、栄養成分表示のどこを探してもない。糖質ゼロやプリン体ゼロを名乗る機能系の缶は別のカテゴリとして存在するけれど、それは第3のビールだからではなく、そういう設計の缶だから、だ。
だから、節約のために第3のビールへ移っていた人が、値段が並んだのを機に「本物」へ帰るのは、味の世界ではめでたい話で、身体の世界では昇格でも降格でもない。尿酸値とプリン体の細かい話は夏に書いたので、今日は繰り返さない(第10回・決勝の朝4時、ビールと尿酸値だけが延長戦に入る)。一行だけ引き継ぐなら——あの回で書いたとおり、酒の身体への効き方を決める主役は、缶の種類より、アルコールの総量のほうだ。
税率表は今週書き換わった。栄養成分表示は、一文字も変わっていない。ここを取り違えないことが、この秋の飲み方の出発点になると思う。
変わるのは中身ではなく、「安くなったから一本多く」の量のほう
で、ここが今日いちばん書きたかったところ。
ビール1本の減税は、9.1円である。350ml缶を25本飲んで、ようやく缶1本分の値段が浮く計算になる。財布にとって、この改正はその程度の規模の話だ。ところが「ビールが安くなった」という見出しの温度は、9.1円よりだいぶ高い。安くなったから、今夜はもう一本。この気分の値上がり幅のほうが、たぶん本体である。
身体の側の算数を並べてみる。純アルコール量は、容量×度数×0.8で出る(厚生労働省が2024年2月に公表した「健康に配慮した飲酒に関するガイドライン」の計算式だ)。350ml缶のビールで約14グラム。ロング缶なら約20グラム。そして同じガイドラインの世界では、生活習慣病のリスクを高める飲酒量として、1日あたり純アルコール男性40グラム以上、女性20グラム以上という線が引かれている。ロング缶2本で、男性の線に届く。女性なら1本で、もう届いてしまう。
つまりこういうことになる。減税で財布が拾うのは1本あたり9.1円。「安くなったから」で増えた一本が身体に運ぶのは、純アルコール14グラム。円とグラムで単位が違うから比べにくいけれど、伝票の桁が大きいのは、どう見てもグラムのほうだ。
肝臓の側の事情も書いておく。アルコールは1グラムあたり約7キロカロリー。糖質の4と脂質の9のあいだ、だいぶ脂質寄りの席に座っている。しかも肝臓はアルコールの処理を最優先にする性分なので、その残業のあいだ、脂肪の始末は後回しになる。飲む本数と一緒にγ-GTPと中性脂肪と体重が動くのは、この筋書きによる。血糖の話を足すなら、ビール系飲料は糖質も一緒に運んでくるし、本数が増えれば唐揚げの皿も延長戦に入る。ついでに、糖尿病の薬の一部は空きっ腹の酒と相性が悪く、低血糖の引き金になることがあるので、治療中の方は自分の薬がどちら側か、主治医と一度だけ確認しておいてほしい。
黒船の年、江戸の人は蒸気船と濃い茶とを掛けて、たった四杯で夜も眠れない、という笑いに変えてみせた。僕がこの古い笑いから借りたいのは、「たった」の数え方だけだ。たった9.1円の減税で、たった一本増える。その「たった」を170年前の狂歌はちゃんと笑いにできたのに、僕らは自分の晩酌になると、とたんに勘定が甘くなる。
ストロング系は、静かに値上がりした
今回の改正には、もうひとつ地味な当たり判定がある。チューハイの、28円から35円への引き上げだ。
氷結が値上げ対象になったのは先に書いたとおりだけれど、この7円がいちばん深く刺さるのは、いわゆるストロング系だ。安くて、甘くて、強い。500ml・アルコール9%の缶は、それ1本で純アルコール36グラム。さっきの「男性40グラム」の線まで、残りわずか4グラムしかない。一晩の晩酌としてはほぼ満額回答の量が、コンビニで数百円、しかもジュースの顔で売られてきた。外来で、説明のつきにくい肝機能や中性脂肪の数値に出会うたび、聞き取りの最後にこの缶が登場する——という経験を、僕は何度もしている。
流れ自体は、税より先に始まっていた。2024年にはアサヒビールがアルコール度数8%以上の缶チューハイの新商品を出さない方針を発表し、販売品目も2020年の79種類から2種類まで減っていた。市場の販売金額もピーク時から25%ほど縮んでいたという。度数を少し下げた缶に乗り換える人が増えた、という分析も同じ記事にある。世の中は、税制より先に、少しずつ引き返し始めていたのだ。
だから診察室から見れば、今回の7円の増税は、正直、悪くない話だと思っている。ただし、飲む人を責める気は、僕にはまったくない。酒が人間をダメにするのではない。人間は、元々すこしダメにできている。診察室の僕は、この線から一歩も出ないことにしている。ダメなのはお互いさまで、棚のこちら側に責める資格はない。ただ、ダメな僕らの手が自然に伸びる先の「値段と度数の配置」は、設計し直すことができる。今回それを設計したのが本人でも医者でもなく税制だった、というだけの話である。
……税の7円が、僕の診察室の20分より効くかもしれないのか。開業医としては、ちょっと複雑ですよ(涙)。でも効くんだろうなあ。人間は、説教では動かないけれど、値札では動く。この事実と喧嘩しない医療だけが、たぶん現実に効く医療なのだ。

何を飲むかより、何本飲むか——地味な5つ
というワケで、今回の実用パートは銘柄選びの話をしない。棚が変わった週に決め直したいのは、種類ではなく本数の側だから。今夜からの、地味な5つ。
- 冷蔵庫に入れる本数を、飲む前の自分が決める。 箱で買ったら、箱は冷蔵庫から遠い場所へ。冷えている本数だけが、今夜の定員である
- ロング缶をレギュラー缶に替える。 500mlの約20グラムが、350mlの約14グラムになる。銘柄を替えるより早くて、味も変わらない
- 値札の隣の、度数の欄を見る。 今週から値段は種類の見分けに使えなくなったけれど、度数の数字は嘘をつかない
- 飲まない日は、気合いではなくカレンダーで決める。 予定表に先に書いてある夜だけが、実際に飲まない夜になる。今夜の意志より、先週の自分の字のほうが強い
- 「安くなったから」を、2本目の理由の欄に書かない。 減税は財布の話で、2本目からはいつも身体の話。冒頭の一行は、そのために書いた
5つとも、栄養学というより冷蔵庫の運用の話である。ただ、外来で酒の相談を受けていて行き着く先は、意志の強さではなく、たいていこの手の配置と段取りなのだ。
体重と肝臓の数字は、同じ伝票に載っている
本数の話をこれだけ続けてきたのは、体重と肝機能と血糖が、根のところで一枚につながっているからだ。当院は糖尿病の保険診療を土台にしたクリニックで、採血で血糖と肝臓と体重の推移を並べて眺める、という地味な仕事を保険の枠内で延々とやっている。その延長線上に自由診療のGLP-1の枠も置いてはあるが、酒の本数が主役になっている伝票に、薬の欄から書き込み始めることは、順序としてしない。まず本数、それから数字、薬の相談はその景色を見てから——どの入り口から来ても、この順番だけは変わらない。
──お代の話はここまでにする。夜のベランダに出たら、どこかの庭から金木犀が届いていた。十月の話に、もう少しだけ戻る。
締めに
三段の雛壇は、たしかに便利だった。給料日前は下の段、いいことがあった夜は上の段。財布と相談しながら段を上がり下がりするうちに、値札のほうが僕らの月末を代弁してくれる棚だった。あの棚が、今週からただの一枚の平場になった。
財務省の資料には、今回の改正は「税収中立」だと書いてある。国が受け取る酒税の総額は変えない設計で、動いたのは、誰がどの缶から払うかの配分だけらしい。それなら、と思う。国の税収が中立なら、家の中の税制くらいは、こちらで決めたい。棚の値段は向こうの都合で動く。冷蔵庫の定員は、こちらの管轄である。
十月の夜は、ビールがうまい。9.1円安くなった一本目は、たぶん素直にうまい。二本目をどうするかは——今夜も冷蔵庫の前で、いつものように審議になる。審議の結果は、次の採血の日に、数字のほうが先に教えてくれる。

書き終えた夜、答え合わせを兼ねて、近所のスーパーへ値下げ後のビールを1本だけ買いに行きました。棚の前で本文の記述と実物を照合して、満足して、レジに並んで。すると店員さんが、僕の缶をスキャンしながら親切に教えてくれたのです。「箱ですと、お安くなりますよ」。ありがとうございます、知ってます。……知ってるんですけど。原稿一本ぶんの理屈が、レジの一言で危うく手玉に取られるところでした。締めの言葉は今回、その方にお譲りします。安くなった棚の前で試されるのは、理屈ではなく段取りのほうでした。1本だけ提げて帰った今夜のところは、僕の判定勝ちということにしておいてください。