第22回|投手には十五秒の時計がついた。僕らの椅子には、まだついていない。
執筆: 小林 正敬(こばやし まさたか) — まさぼ内科・糖尿病クリニック飯田橋院 代表理事。糖尿病専門医・総合内科専門医。
攻守が入れ替わるたび、グラウンドでは九人が走って交代する。テレビの前では、誰も交代しない。

十月も下旬に入ったのに、朝走り終えても、まだ汗の引きが遅い。月のはじめの予報では、今月は全国的に平年より気温が高く、東日本や西日本の平地では紅葉の見頃が遅れる所がある、と言っていた。道ばたの木も、葉の色をまだ決めかねている。秋は、今年も少し遅刻ぎみだ。
季節が遅刻しても、野球の暦だけは律儀に進む。スポーツ欄を熱心に読まない人でも、この週末が特別なのはわかる。日本とアメリカの頂上決戦が、同じ週末に幕を開けたのだ。
──季節の遅刻は、いったん脇に置かせてほしい。今日したいのは、時間の話である。それも、野球が自分の時間をどう縮めてきたか、という話と、観ている僕らの時間がどこで縮まらずに残っているか、という話。
日本シリーズとワールドシリーズが、同じ週末に始まった
SMBC日本シリーズ2026は、昨日10月24日の土曜に開幕した。第1戦と、今日の第2戦がセ・リーグ代表の本拠地。27日の火曜から3試合をパ・リーグ側で戦って、もつれれば第6戦が31日、第7戦が11月1日の日曜になる。もつれたら、二週続けて、土曜の夜がテレビの前に予約されることになる。
海の向こうでは、ワールドシリーズの第1戦が現地23日の金曜に組まれていた。日本の暦でいえば24日の土曜だ。アメリカの夜の試合は、時差の都合で、こちらの朝から昼にかかることが多い。朝に向こうのシリーズ、夜にこちらのシリーズ、という週末を過ごしている人が、たぶん日本中にいる。
どの球団が勝ち上がってきたかは、ここでは書かない。この原稿の主役は、球団ではなく時計のほうだからだ。
観戦の夜の過ごし方なら、アジア大会の回に一度書いた(第17回・アジアでいちばん強い身体たちが、今夜も港で眠っている。)。あのときは眠りと時差の話をした。今回は、もっと地味なところ、ソファの座面とお尻のあいだで起きていることを書きたい。
ピッチクロックとは何か——野球に時計がついた
マウンドで、投手がひと息つく。そのひと息にも、大リーグでは残り時間が表示される。投手が投げるまでを数える時計、ピッチクロックだ。2023年から導入されていて、公式の用語集によると、走者がいなければ15秒、走者がいれば18秒(導入初年は20秒)が切れる前に、投球動作を始めなければいけない。打者と打者のあいだにも30秒の時計がある。
効果ははっきりしていた。9回までの試合の平均時間は、導入前の2022年が3時間4分で、導入した2023年には2時間40分まで縮んだ。一年で24分。野球の歴史の中では、ちょっとした事件である。
ちなみに今年は、AP通信の報道によると、前の年より3分43秒ほど長い2時間42分。ストライクとボールの判定に機械で異議を申し立てられる仕組みが入って、そのぶんが1分ほど乗ったらしい。時計で詰めた試合を、別の機械が少しだけ伸ばす。人間のやることは、だいたいこういう行ったり来たりでできている。
日本のプロ野球も、この夏に動いた。8月3日、日本野球機構と12球団の実行委員会が、ピッチクロックの導入を全会一致で承認した。いつから、何秒にするかは、これから決める。つまり今週末は、時計のついた野球と、まだついていない野球が、同じ二日間に並んでいる。
野球というのは、もともと間(ま)の長い競技だ。投手がロジンバッグに手をやる。捕手がサインを出し直す。打者が打席を外して、バットの先で土をならす。あの数秒に、観る側は勝手に意味を読み込んで、勝手に息を詰めてきた。時計がつくと、その数秒は数えられる数秒になる。味わうための間が、管理される間に変わる。どちらがいいかは、野球好きのあいだでも意見が割れるところで、僕が決めることではない。
ただ、ひとつだけ言えることがある。間に時計がついても、間そのものは消えない。球場の中の数秒は、これから秒で区切られる。区切られずに残るのは、球場の外、画面の前の数時間のほうだ。
試合が短くなっても、座りっぱなしは残る
先に、自分の言い分をひとつ訂正しておく。試合が短くなれば、そのぶん座っている時間の合計も減る。24分縮めば、24分ぶんソファから早く解放される。それは本当だ。
ただ、身体の側から見ると、合計だけでなく、途切れずに座っている長さにも目を向けたい。2時間40分の試合を、一度も立たずに観れば、2時間40分の座りっぱなしになる。3時間の試合を、イニングごとに冷蔵庫まで歩きながら観る人のほうが、座りっぱなしの一回あたりは、ずっと短い。ルールが詰めたのは試合の長さで、こちらの座り方までは詰めてくれない。
しかも今週末は、それが一日に二回ある。朝に一試合、夜に一試合。あいだの時間に洗濯物を干したり買い物に出たりすれば、まだいい。両方の試合のあいだを、配信の見逃しハイライトでつないでしまうと、一日のかなりの部分を同じ座面の上で過ごすことになる。……とここまで書いて、この原稿も一時間以上、同じ椅子の上で書いていることに気がついた(汗)。
外来で、食後の血糖の話になったとき、「食べたあとは何をしていましたか」と聞くことがある。返ってくる答えで多いのは、「座ってテレビ」と「座ってスマホ」だ。責められるような話は、どこにもない。疲れて帰ってきて、夕食をとって、座る。それは一日の終わり方として、ごく自然な順番である。自然な順番だからこそ、そこに区切りが入る余地も、ほとんど残っていない。
日本人がもともとよく座る国民だ、という話もある。20か国の大人を比べた国際調査では、平日に座っている時間の中央値は300分だった。5時間である。2時間半の中継を二本観れば、それだけで届く。日本は台湾やノルウェーなどと並んで、いちばん長い側の国に入っていた。ただし、これは2002年から2004年に集めた自己申告の数字で、今の順位表としては使えない。使えないので、ここからは今日の自分の椅子の話にする。
毎朝走っている人間として、ひとつ白状しておく。走るのは1時間ほどで、残りの起きている時間の多くは、たいてい机の前だ。走った1時間は1時間で、そのあと続けて座る数時間とは、別の時間である。少なくとも、時計の上では。
座りっぱなしは、なぜ体に悪いと言われるのか——食後の血糖の話
では、ソファに沈んでいる二時間半のあいだ、身体の中では何が止まっているのか。
食事をすると、血液の中の糖が増える。その糖を受け取って使う大きな受け皿のひとつが、筋肉だ。とくに太ももやふくらはぎのような大きな筋肉は、動いているあいだ、インスリンの合図とは別の経路でも、血液から糖を取り込むことが知られている。安静にしていても筋肉は糖を受け取っているが、脚を止めて座り続けているあいだは、動くことで上乗せされるぶんの取り込みが、ほとんど乗ってこない。大きな受け皿が、半分シャッターを下ろしたまま営業している、くらいの絵である。
この「座りっぱなしを短い歩行で区切ると、食後の血糖はどう動くか」を確かめた実験がある。2012年にオーストラリアのグループが報告したもので、糖尿病と診断されていない、太り気味から肥満の大人19人が、糖と脂肪の入った試験用の飲み物をとったあと、5時間座り続ける日と、20分座るたびに2分歩く日とを過ごした。5時間といえば、野球を二試合観てしまえる長さだ。違うのは、その途中で何度も脚を使ったことだけ。食後に血糖が上がったぶんを、測った5時間全体で足し合わせて比べると、軽い歩行の日で24%、およそ四分の一小さかった。少し速めに歩いた日は30%、約三割。血液中のインスリンも、同じ数え方で約23%少なかった。
次の実験では、座る時間が8時間になった。2時間40分の試合なら、三試合ぶんである。2016年、同じグループが2型糖尿病の人24人で試した。参加したのは、食事療法か飲み薬のメトホルミンで治療していた人たちで、インスリンなどほかの薬を使う人は入っていない。今度は30分ごとに3分、軽く歩くか、立ったままできる簡単な動き(浅いスクワットや、かかとの上げ下ろし)をする。座り続けた日と比べると、どちらの日も、食後の血糖とインスリンの上がったぶんが、同じ数え方で小さかった。
どちらも、決まった食事をとって、その日の数時間を測った短い実験だ。人数も多くない。これで糖尿病を防げるとは言えないし、誰でも同じだけ下がるとも限らない。20分ごと、30分ごとというのも、その実験で試した条件であって、それが最適な間隔だと決まったとは、まだ誰も言っていない。それでも、たった2分や3分の歩行で、その日の食後の山の形が変わった、という事実は、診察室で話していて、いちばん反応がいいところでもある。
歩く速さや歩き方そのものの話は、以前に書いた(第7回・世界が燃えている朝に、僕らはただ、速く歩く。)。今回の二つの実験が比べたのは、長く歩くかどうかではなく、座る時間を短い動きで区切るかどうか、のほうだ。
国の運動のガイドを読んでいると、朝走っている僕よりも、そのあと机に戻った僕に向けたような一行に出くわす。厚生労働省の「健康づくりのための身体活動・運動ガイド2023」には、大人にも高齢者にも、座りっぱなしの時間が長くなりすぎないように注意する、と書いてある。体を動かす時間が少ない子どもについては、動く時間の長短にかかわらず座りっぱなしを減らし、とくに余暇のスクリーンタイムを減らす、とまで書いてある。野球中継は、大人にとっては堂々たるスクリーンタイムである(涙)。
うちは糖尿病の保険診療が土台のクリニックで、その延長で、自由診療のGLP-1も扱っている。食欲を落とす薬を使っている人にも、使っていない人にも、食後の話をするときに聞くことは同じだ。食べたあと、何をしていたか。座っていたか、動いていたか。薬は食欲や血糖に働きかける。それでも、ソファから立ち上がる回数は、本人の側に残っている。
窓から差しこむ午後の光が、床の上で椅子の脚の影を少しずつ伸ばしていた。机の前に座ってから、影がそれだけ動くあいだ、僕は一度も立っていなかった。

テレビの前で、立ち上がる合図を決めておく
立つのを試合が終わるまで待つ人は多い。もう少し早く立てばいいのに、ちょうどいい頃合いを全部見送って、九回裏の最後の打者が倒れてから、ようやく腰を上げる。いちばん遅いバスに、わざわざ乗っているようなものだ。
ここからの工夫は、実験の条件をそのまま家に持ち込むものではない。暮らしの中で、動くきっかけを増やすための提案である。
投手の15秒をまねて、15秒ごとに立て、という話ではない。投げる間隔の時計と、身体を動かす間隔は、まったく別の話だ。借りたいのは秒数ではなく、時間が過ぎていることを目に見えるようにする、あの仕組みのほうである。
座りっぱなしの何が厄介かというと、座っている本人に、座っている時間が見えないことだ。試合に夢中なときほど、見えない。だから、時計の代わりになる合図を、先に決めておく。地味なものを三つ。
- 攻守交代で、一度立つ。 立ったら、部屋の端まで歩いて戻るくらいでいい。イニングの長さは毎回ちがうので、研究の「20分ごと」とは同じにならない。それでも、合図があるだけで、立たずに9回を終える夜はかなり減る
- 飲み物とつまみを、手の届く場所に置かない。 取りに行くたびに、台所までの往復が一回生まれる。冷蔵庫が遠い家ほど、観戦向きの間取りということになる
- 食べたあとは、とくに意識して区切る。 夕食のあとに試合が続くなら、そこで座りっぱなしにしない。立ち上がるのがつらい事情がある人は、指針の言い方どおり、じっとしている時間を長くしすぎない、くらいの意識で。安全にできる範囲で座ったまま脚を動かす方法もある。ただ、紹介した実験と同じだけの効果があるとは限らない
合図を決めておけば、山場で立つ必要はない。満塁の場面で冷蔵庫へ歩けとは言わない。山場以外を、立って少し歩くきっかけにすればいい。
ひとつだけ、医者として書き添える。インスリンやSU薬などを使っている人は、ふだんより動く量が増えると、低血糖になることがある。動き方を変えるときは、血糖の確かめ方と低血糖のときの対応を主治医と確認しておいてほしい。薬の量は、自分の判断では変えないこと。
それに、思い立ったときに椅子から腰を上げて、そのまま台所まで歩いていける、というのは、それができなくなった人から見れば、ずいぶん贅沢な仕組みである。毎朝走れているうちは、その贅沢を、つい当たり前の顔で受け取ってしまう。
第7戦までもつれたら、ハロウィンの週末になる
日本シリーズが第7戦までもつれれば、11月1日の予定だ。ワールドシリーズのほうも、最後までいけば現地の31日、こちらの暦ではハロウィンの翌日あたりまで続く。来週の土曜日、街はたぶん仮装の人でにぎやかで、シリーズが続いていれば、テレビの中では、どちらかの国でまだ誰かが投げている。
どちらのシリーズが何戦までいくのかは、まだ誰も知らない。ルールが投手に時計を渡しても、試合がいつ終わるかまでは決められない。決められないから、最後まで観てしまう。
だから、立つ合図だけは、こちらで先に決めておく。攻守交代でも、コマーシャルでも、湯のみのお茶が空いたときでもいい。投手の時計は、球場の壁に掛かっている。僕らの時計は、膝の上にも、壁にも、まだない。
最初の一回は、今日の第2戦の、一回の表と裏のあいだで。


院長後記
この後記を書く前に、一度立ちました。廊下の端まで歩いて、窓を少し開けて、戻ってくる。三十秒もかからない往復です。机に戻ると、さっきまで書いていた最後の一行が、少しだけ他人の書いた文章に見えました。立つと、原稿も少し冷めるらしい。冷めた目で読んで、一か所だけ直して、この回を閉じます。